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なんとなく手に取った本で人生の目標がひとつ決まった話

長時間の解析で尻が痛くなり集中が途切れた木曜の15時、ラボをサボって無目的に来た本屋でたまたま手に取った本が篠田桃紅「百歳の力」でした。

いつも本屋に行くとまずはサイエンス、ミステリー、文学あたりの棚をうろうろするのですが、その時の私はとにかくサイエンスと離れたい気持ちでした。経験的に、自分のやりたいことから離れたいときは大体視野が狭まっています。こうしたときに読むのは随筆やエッセイなど、著者の人となりが見える本に限ります。自分と全く別の生活をしてきた人の生き方を知ると、その人の視点が自分に取り込まれ、自分を客観的に見るための視点の一つを得たような気がするのです。
平成生まれで研究者の卵である自分と全く違う人生を送ってそうなひと……と選んでるうちに今回紹介する本に出会いました。

カバーには凛とした女性が立っており、タイトルは「百歳の力」。そして新書です。新書は1時間弱で読めるためラボをサボっている自分には最適。そして違う時代を生きて来た100歳超のおばあさまの自伝ですから間違いなく新鮮な視点を得られることでしょう。
あおりも読まずに即買いし、そのままカフェにて一息に読みました。
結果として、この出会いは予想以上の効果をもたらしてくれました。

新書のカバー

篠田桃紅さんは本名を篠田満州子と言い、1913年に旧満州の大連にて生まれました。父より五歳から書を習い、そこで桃紅という雅号を付けられました。この時代の女性は女学校卒業後に結婚し、嫁ぎ先に従う人生が正しいとされているなか、篠田さんはくじびきみたいな結婚から逃れ、自分に依って生きるために22,3歳で実家を出て、書を教え始めました。その後「ただ字を書いているというのが、つまらなくなったのね。」と水墨を用いた抽象表現という新たな芸術を切り拓き始めました。
各地で個展をする中で、アメリカの方に評価される機会が増え、43歳で渡米し、ニューヨークなどに2年間滞在しました。当時は女性、そして芸術家が渡米するなど前代未聞であり、大変な注目を集めたそうです。帰国後は富士山麓に茅葺き屋根の家を作りそこで製作を続け、2021年に東京都の病院で107歳にて死去されました。
この本では上記のような篠田さんの来歴を軸に、それぞれの道を選んできた理由となる自身の性格分析や、印象に残ったエピソードが書かれています。
初版が2014年ですので、出版時は現役でご活躍されていたようです。

この本を手に取るまで、恥ずかしながら篠田桃紅先生を知りませんでした。カバー写真の印象から、なんとなく茶や花など?の芸術家の偉い先生が輝かしい来歴紹介と若者へのありがたい説教をまとめた内容なのかな……とたいへん固定観念に縛られた想像をしていました(正直、第一話はそんな感じですが、)。
私は女性ながら博士課程という道を選択しもう9年も大学にいます。結婚のモチベーションもありません。しかし自分の選択に自信が持てず、インスタに載る同級生のライフステージの変化を見るたびに、自分は間違った人生を歩んでいるのではないかと、ふとした時に恐ろしくなります。
しかし篠田先生は違います。私がいいと思うものはみんなとちがう、と幼いうちから理解し、他人に従って生きることに恐れを抱き、つねに私というものを軸にしています。

これまでたいへん苦労が多かったでしょう、と言われるけど、そうでもない。あんまり苦労なんかはしない。だってしたいことをやっているんだから。なかなか思うようにいかなくたって、これは自分のやりたいことをやっている報いだから、しようがないと思える。

篠田桃紅「百歳の力」78頁

すごいですね、迷いなくこのように考えられる思い切りの良さを迷ってばかりの自分は持つべきです。この本は篠田先生が100歳を超えてから書いていますから、想い出補正はかかっていると思いますが、それでも晩年に自分を思い出してこう言えるようになりたいものです。
ちょうど自分が苦労人だと思い込み悩み疲れている自分にとって、何もない道を自ら切り開いて生きてきた篠田先生の生き様は、とても眩しく見えました。

篠田先生の絵は本書の所々に載っていますが、新書ですから白黒でよくわかりません。それに抽象画との付き合い方も私にはわかりません。篠田先生の竹を割ったようなまっすぐな性格はよくわかりましたが、絵はどうかと言われても本書をひとさらいしただけではわかりませんでした。
篠田先生も本書で抽象画をこのように言っています。

自分の感覚、自分の世界を広げないのは、人としてもったいないし、惜しいことです。抽象は、無限の想像力を誘い出す一つの道筋であると、私は思っています。

篠田桃紅「百歳の力」171頁

なるほど、自分の感覚的な世界を拡張するための方法の一つとして抽象画があるそうです。その拡張したいと思っている感覚も人によって全く違うので合うものと合わないものがあるそうです。これを篠田先生は縁と言っています。

紙面上で白黒の絵を見ていてもよくわからないので、ネットで調べてみました。篠田先生の売りとされる「強い線」は新書の写真よりも黒の濃淡がわかりやすいネット上の方がわかりやすく見えました。篠田先生の生き様を示すような迷いのない一本の線は確かに勇気が出るような気がします。
色々見ていて特に惹きつけられた絵がありました。

以下のURL先に紹介されている《Avanti》です。

なぜ他の作品よりもこれに惹きつけられたのかはわかりませんが、不勉強ながら、この作品は他の作品よりも淡い線の割合が少なく、強いく太い線が全体の構成要素の半分以上を占めているように思います。
抽象画が自分に足りない感覚を増強するためのものであるならば、私は今強く太い線、つまりは篠田先生の生き方のような迷いのない意識が足りないのかもしれません。
最近は色々とうまくいかず博士号を諦めるべきなのかと考えていましたが、たまたま出会った篠田先生とその作品に「自分が選んだ生き方なのだから自信を持って恐れず進みなさい」と言われたような気がしました。
いつか博士号を取得できたらアメリカのボストン美術館へ行き本物のAvantiに挨拶しようと決めました。

研究室をサボった1時間で博士号取得のモチベーションと、人生の目標の一つを得ました。これこそ篠田先生の言う縁なのでしょう。
人生に悩む全ての人に必要な本かはわかりませんが、今の私には必要な本でした。

1時間もかからずに読める新書です。
この記事を書きながら一度読み直したら30分もかかりませんでした。
もし機会があればぜひ読んでみてください。


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