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『キンキーブーツ』で狂った人間の掃きだめ

『レディース アンド ジェントルメン! そしてまだどちらか決めかねているあなた!』

こんな単純な言葉の一つが、一瞬にして20年間の人生で抱えてきた『わたしの中の曖昧なもの』を救ってくれたのだ。

『キンキーブーツ』 大阪公演 5/26 昼の部
観てきました。

きっと去年の冬に放送されたFNSのミュージカル特集で披露されたパフォーマンスでこの演目を知った人も多いと思う。
そしてわたしもその一人。
その時の三浦春馬さんのドラァグクイーン姿がTwitterでバズってたもんね。つい廃だからすぐに影響されちゃった。

もうとっくに千秋楽は迎えてしまったし、再演の予定はまだ無いけれど、この気持ちをどうにか言葉にして昇華しなければ、と謎の使命感に駆られているから今更だけど書かせてね。


【あらすじ】イギリスの田舎町ノーサンプトンの老舗の靴工場「プライス&サン」の4代目として産まれたチャーリー・プライス(小池徹平)。彼は父親の意向に反してフィアンセのニコラ(玉置成実)とともにロンドンで生活する道を選ぶが、その矢先父親が急死、工場を継ぐことになってしまう。
工場を継いだチャーリーは、実は経営難に陥って倒産寸前であることを知り、幼い頃から知っている従業員たちを解雇しなければならず、途方に暮れる。
従業員のひとり、ローレン(ソニン)に倒産を待つだけでなく、新しい市場を開発するべきだとハッパをかけられたチャーリーは、ロンドンで出会ったドラァグクイーンのローラ(三浦春馬)にヒントを得て、危険でセクシーなドラァグクイーンのためのブーツ“キンキーブーツ”をつくる決意をする。
チャーリーはローラを靴工場の専属デザイナーに迎え、ふたりは試作を重ねる。型破りなローラと保守的な田舎の靴工場の従業員たちとの軋轢の中、チャーリーはミラノの見本市にキンキーブーツを出して工場の命運を賭けることを決意するが…! (公式HPから引用)

 キンキーブーツの何が凄いって、わかりやすいサクセスストーリーの中にふんだんに詰め込まれた言葉のパワーが凄い。

 これまでそんなに沢山ミュージカルを観てきたわけじゃないから比較対象が少なくて申し訳ないのだけれど、キンキーブーツはどのシーンも言葉のパワーで全ての人を救ってくれる。

 ローラの登場シーンはとにかく刺激的で、男たちに絡まれたローラが彼らをブーツでぶん殴って、そこで暗転、から場面転換、からのパブのステージでド派手な衣装に身を包んだローラが『LAND OF LOLA』を歌い上げるという演出!

「私に落とされた男はあの人が初めてじゃないの。そして約束するけど……最後でもないわ」

 というセリフを吐き捨ててからの『LAND OF LOLA』!!! ずっるい!!!!!!
 もう出会って10秒で全観客がローラのことを好きになってしまう最高の演出。天才か?

 チケットを手に入れてからゲネプロの映像はセリフを覚えるほど観ていたんだけど、その時はとにかく『RAISE YOU UP』(ラストを締めくくる最高の曲)ばかりに意識を取られてそんなに『LAND OF LOLA』に惹かれてはいなかった。実際に見てはじめてこの曲が愛される理由がわかった。そりゃ好きだわ。

 それからずーっと、比喩じゃなくて本当に幕が降りるまで、楽しくて美しくて強かなシーンしかなかった。

「私は見られるのが好き、あなたは見るのが好き。お互いに幸せになれる方法があるの!」
「私の心をたくさんあなたにシェアしてきたのに、あなたはまだ私がズボンを持っていないからこんな格好をしていると思っているの!?」
「迷い子は見守られていた 今度はローラがやる番よ」

 そんな自信と希望に満ちた言葉をチャーリーや観客の私たちに与えてくれるローラ。

 序盤は固定概念に縛られてドラァグクイーンという存在を理解できず、彼の在り方に対して情のない言葉を吐いてしまったチャーリーも、終盤には『ローラ』という一人の人間を認めて評価するようになる。その時の言葉がこれだ。

「もしも君のことを男以下だと言うやつがいたらまずは僕に言ってくれ。もし男というものが全世界を一人で背負いこむ勇気を持つ者だと言うのなら、僕が知っている男は君だけだ、一番の男だ!」

 この言葉が指し示す通り、ローラは強くて誰よりも優しかった。一度だって他者の尊厳を傷つけるようなことは言わない。苦しんでいる人がいたら手を差し伸べてしまうような人なのだ。

 けれども、いや、だからこそ、
 田舎町に男の格好をして訪れて、トイレに篭ってしまったローラが言った
「男の格好じゃ「こんにちは」もまともに言えやしない……」
 という言葉が私はどうしても忘れられない。

 彼の弱さと強さは全く別の引き出しに収まっているものなんかじゃなくて、表裏一体の存在なのだと、このセリフを聞いてやっと思い知らされる。

 劇中で何度もおまじないのように放たれた「レディース アンド ジェルトルメン!そしてまだどちらか決めかねているあなた!!」という言葉。

 私はその『まだどちらか決めかねているあなた』ではないと自覚をしている。
 性自認は100%女のつもりだし、女としてスカートを履いてハイヒールを履く行為に喜びも感じている。

 しかし、他人の言葉を一切鑑みず、曖昧にしておきたい部分がわたしにもある。
 私に限ったことではない。きっとこの『曖昧さ』は誰の中にもあるのだと私は思う。

 私はずっとその曖昧な部分に、『弱さ』という名前をつけていた。
どこのカテゴリーにも所属させられないという弱さ。
それを問題として向き合う勇気がないという弱さ。
だけど誰かに干渉されることをひどく恐る弱さ。

 私の曖昧さが曖昧なままである所以は、これらの弱さにあると私は考えていた。

 しかしローラは、「キンキーブーツ」という作品は、そんな曖昧さをそのままでいいと言ってくれるのだ。まさしく「まだどちらか決めかねているあなた!」という全ての人に優しすぎる言葉で。

 この作品は、端的に説明すると『ドラァグクイーンと田舎育ちの青年が価値観を擦り合わせていくヒューマンストーリー』になり、まるでLGBTQをテーマに扱ったような作品にも思えるけれど、私はもっと広いカテゴリーにこの作品を収めたい。
 ジェンダーに焦点を当てた作品だと言われると、自分の生きている世界と遠くの話に思えてしまうかもしれない(し、もしくは他のテーマの作品に比べて特別な情を感じることもあるのかもしれない)けれど、これは限られた人間をテーマに扱った作品ではなく、曖昧さを抱える人間すべてに捧げる作品なのだと、私は思う。

 自分の性自認が確立されていても、恋愛対象が異性でも、家族との関係が良好でも、きっとキンキーブーツに心の一部分を救われる。
 少なくとも私はその1人。
 誰にも触れさせたくない、何ならここにも書きたくない、書ききれない心の曖昧さを許してくれた。

 どう頑張っても蛇足的になってしまうのだけれど、どうしても言いたいからもう少し書かせてね。

 『RAISE YOU UP』という曲がラストシーンで歌われるのだけれど、もうこの曲が『キンキーブーツ』という作品の全てを表現してくれる。最高なんだ。もちろん演出もだけど、歌詞が!あまりにも好き!

「お祝いよ! 立とうとしてもがくあなた この手をどうぞ」
「錆びてても 引き上げてあげる」
「困っているときは 俺たちが解き放つ 自由!」
「Raise you up! Raise you up!」

 ローラたちは決して「頑張って立ちあがって」だなんて言わない。
 「立ちあがれないときは私たちが引き上げてあげる」という姿勢をずっと貫くのだ。
 序盤はローラの在り方に否定的だったドンですら「困っているときは 俺たちが解き放つ 自由!」だよ? 私たちが困っているときに、力不足の私たちに代わって自由を解き放してくれるんだよ!?
 このシーンで救われていたのは、慣れないハイヒールを履いてミラノの舞台で転んでしまったチャーリーだけれど、確実にこの言葉は観客全員に刺さった。

 もう正直ここで涙止まらなかったね。パレードみたいに華やかでゴージャスなシーンなのに、わたしの人生の全てが救われたように気になって、びぃびぃ泣いた。嗚咽も漏らして、だけど手拍子はやめたくなくて、シンバルを持ったチンパンジーのおもちゃみたいに必死になって手を叩いていた。

 この作品で放たれた言葉の数々は、これから先の私を無敵にしてくれる。

 ここ最近、特に高校卒業したあたりから口癖のように「無敵になりたい」と言っていた私だけれど、本当になりたいのは周りに敵が一切いない言葉の通りの『無敵』なんかじゃなくて、周りにどれだけ敵がいてもハイヒールを履いて背筋を伸ばしていられるような無敵なんだろうな、と漠然と気づかされる。

 わたしは無敵になりたい。ローラのように強くて、かっこよくて、きれいで、慈悲深くて……。

 二十歳になる前にこの作品を見ることができてよかった。
 これからのどこへ向かっていけばいいのかわからなくなったときに助けてくれる存在がいるのは心強い。
 きっと私はこれから先の何年間のローラの存在に影響を受けながら生きていくしかないのだと確信する。なんて幸せ者なんだ。

 残念なことにまだ再再演の予定はないけれど、再び日本で上演されることがあれば絶対に行きたい。何度でもローラを浴びて、そのたびに自分の人生を好きになりたい。

 大千穐楽おめでとうございます。そしてありがとう。もう一度このカンパニーが演じるキンキーブーツを見る機会が訪れることを願っています。