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ゴシップ雑誌なんかいらない

いやな記事に傷ついてるファンの方々が元気になればいいなと思ってます。
いつかちゃんと書きたいと思ってました。
具体的なことは書いてないので安心して読んでください。





私は写真週刊誌が嫌いだ。好きな芸能人のゴシップとかプライベートの写真の隠し撮りとかを載せる写真週刊誌が昔から大嫌いだ。

記事というのは、本人や会社にちゃんと依頼があって正当な手続きをふんでかかれるべきだし、取材する側される側がお互いにとってWin-Winでないといけないと思っている。正当な手続きを経てない所謂「すっぱ抜かれた」記事なんて認めない。
世の中の人々はそういうのおもしろいと思うのかもしれないし、「あの芸能人、誰誰とつきあってるんだってよ」なんて噂話するのが楽しいのかもしれない。そんな需要があるから雑誌は記事に書くのだろう。
私はまったくそういうの面白くおもわないから。むしろ好きな人に根も葉もない噂たつのなんて耐えられないから。内容がほんとうだとしても本人が知られたくない情報を勝手に公表するなんて許せないから。

世の中の人々ってなんでそういうの好きなんだろうと疑問に思う。恋愛の噂とか、実は裏ではひどい人だとか、誰と誰がホントは仲悪いとか、面白いかね? 不倫の話とかも一時期流行っていたけれど、全く面白くない。特に不倫の話は当事者たちの問題で私たちには全く関係ない話じゃないですか。その記事をみたことで私たちにおこる感情は不快感のみだ。読んだことで得るものもなにもない。標的になった人がイメージ重視のCMをやってたとしたら仕事おろされる。企業はCMキャラクターをかえなければいけなくなる。誰も得をしない。
これ、不倫した芸能人が悪いから仕方ないんでしょっていうひといるけど、悪いのはその芸能人じゃない。実は悪いのはそれを書いた人(出版社)なんだけどそこに気づくひとっていないよね。みんなに嫌なおもいをさせてるのはその「記事」なんだけど。芸能人じゃなくて。それにきづかないひとが多すぎるよ。

ところで、実際のところ記事の内容が本当のことなのかというとそうでもなかったりする。

人はテレビや雑誌、ネットニュースを読んだ時点で、あるいは見出しをみた時点でまずそれが事実だと思うとこから入る。そういう脳をもった人がほとんどだ。ほかならぬ私自身もそう。きちんと取材してなければ作り話の可能性はおおいにあるのにもかかわらず。また記者の勘違いや書き間違いもないとは言えないし、1を100に増幅して書いている可能性もある。結局はライター次第。理屈ではわかっているのに、視覚から入ってきたものは信じてしまう。それが記事の怖いところだと思う。

だったら、嘘を書かなきゃいいのにね。そんな記事が世の中に氾濫しているのはなぜなのか。

雑誌もネットニュースも(面倒なのでネットニュースにしぼって書きます)書かれる目的は利益を得るためで。書く人もそれを発信する会社も「仕事」でやってるわけで。結局金かよ!などど悲観する必要はなくて、営利企業というものはそういうもので。企業がやるからには目的はお金を得ること。どんな記事も「売れる」ために存在する。逆に「売れない」記事などたとえ素晴らしい主張があろうともわざわざ書くわけがない。(わたしたち素人は売れる売れない関係なく主張したいことがあればnoteに書く)誰も読まないものは営利企業にとって必要ない。会社というのは利益を得るために存在してるんだ。

ネットニュースは記事をクリックされることが利益になるから、世の中の人々が飛びつくような記事を書かなくてはいけない。記事というか見出し。人を引き付けてクリックさせる(スマホだったらタップさせる)見出し。刺激的なものであればあるほどよい。

たとえ作り話であろうとも。

なんなら本記事に関係ない見出しでも。

で、前述したように私たちは視覚からはいったものをまず本当だと思う脳をもっている。だから嘘の可能性があることを頭の片隅で知っていても信じてしまうし、うそかほんとか分からない推しに関する情報で傷ついたりしてしまうんだ。

さて、話はとぶが、私は二次元キャラのファンになることも三次元の芸能人を好きになることも同じだと考えている。ベースになってるのは、リップマンの「疑似環境論」だ。

疑似環境というのはマスコミの情報の受け手によっても構築されているということであり、現代社会に住む民衆というのは、マスコミが伝達する膨大な情報を統合して理解するという能力が有されていない。このために情報を適当に取捨選択して、自らの生活とって都合の良い像を自らの頭の中に作り出すといった行いをしており、このような行いからも疑似環境というのが作られていくということである。

ウィキペディアより

これは社会用語だけれど、マスメディアだけに限った話ではなくいろいろなことに当てはまると思う。人は自分がふれたさまざまな情報を総動員して、「自分にとっての本当」を頭になかに作成しているのだ、結局は。「これってホントは○○なんでしょ、テレビでそういってたよ」なんて誰かがいったとする。私はこう言いかえす。それは「ホントのこと」ではなくお前が「ホントだと思ってること」だろ!、、、と。

二次元キャラは作者が細かく設定をつくる。出身地、家族構成、好きな食べ物、苦手なこと、得意技・・・。芸能人は現実に生きているから容姿や性格などもとからあるけど、誰かがつくったものか現実にあるかが違うだけで、受け手の得る方法は同じ。私が彼らについて得られたものを総動員して、自分のなかにつくった像を「自分にとっての本当」としてファンになる、という点においては同じことなのだ。

その「自分にとっての本当」を構成するデータのひとつとしてゴシップ記事を取り込みたくないのだ。
公式が出したもの、本人が私たちにお届けしようと考え抜いて出してくれている情報を尊重したい。ブランディングのもとに練りに練ってお届けしてくれるものを狙い通りに受け止めさせていただいて、自分の好みにあえば一緒に楽しませていただきたい。推し活って楽しみたくてやるもんだからさ。本人が公表してないプライベートな情報なんかいらないよ。情報解禁前の噂とかもいらないよ。時期がくれば公表されることなんだから。早く知るからってなんだっていうの。そんなの別に早く得たからすごいとかないから。これが政治経済とか医療とか生活に関わることだったら話は別。そういうのは公表されてないことも知るべきことは知りたいし、正しい情報でないと一大事。そう考えると推し活はあくまでファンタジーともいえるね。

単純に「好きな人が傷つけられたり悲しい思いするのを見るのがイヤ」っていうのもある。悪意もった書かれ方してるのなんて見たくないし、悪口いわれてたら悲しいし。

アクセス数稼ぎで書かれてるネット記事。それについての話題も自分のなかにデータとして取り込みたくないから視界にはいらないように生活するのは結構大変。スマホでなにか調べようとするとAIが勝手に「おすすめ」に見たくない情報をだしてくるから、目のピントをはずして見ないようにしている。ヤフーのトップページにアクセスしたときも芸能ニュースの見出しを読まないよう細心の注意をはらわなければならない。ファンの同志のツイッターも私の見たくない知りたくないことを話題にしてるのはミュートした。「こんな記事ゆるせない」って書いてあっても、そもそも話題にする時点でアウト! 話題にしちゃだめだ。

あと、ついでに書いておくけど、いやな記事をわざわざ引用リポストして「こんなこと書かれてるけど、全くどうでもいいわ」などとつぶやいてる人・・・それ、ヤツラの思うつぼなのよ。あちらさんは、記事にアクセスさせるのが目的なんだから。ファンのひとが「こういうこと書かれるのムカツク」って反応したら、シメシメ。「こんな嫌なこと書かれてるよ」って多くのひとがアクセスしたらウハウハ。反応しては逆効果。とにかく無視すること。言い返したい気持ちはわかる。けど、むこうは私たちの推しをけなすことが目的なわけではなく、単に有名人を記事にしてアクセス数かせぎたいだけなんだから。同様にYouTubeの悪口動画も再生しちゃダメ!どんなこと言われてるんだろうと気になるだろうけど、再生数でお金かせぎたいだけなんだから。広告収入得たいだけなんだから。再生すると、それに協力したことになってしまう。

情報は選んで取り込みたい。見たくないものを見ない権利。それって自分で守っていくしかないのかな。この情報社会のなかで見たくないものを避けるのはなかなか大変なことだ。AIがそれを判断してシャットアウトしてくれればいいのにね。


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