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38. 母子手帳とアイデンティティー。

1日でも早く可奈に会えるようになるために、調停を早く進めるために、スケジュールはなるべくフレキシブルにしておきたかった。そのためには、職場や周りの理解が必須だ。

バイト先のスタッフは快くシフトを代わってくれ、調停の次の日にはどうだったかと心配して、文字通り心身ともに助けられていた。
私の職場は、レストランなのか植物園なのか分からないくらいに緑の多いお店だったので、いるだけで自然に癒されていたし、適度に体を動かす事であまり考え過ぎずに済んでいたのは良かったと思う。
調子が悪くなってしまったときはスタッフルームで寝かせてもらうこともあった。

気の優しい子がひとりいて、彼女にはいつも助けられていた。
私の話を辛抱強く聞いてくれた彼女は、昔マッサージの仕事をしていたのよ、と私のガチガチな背中をよくほぐしてくれた。
気分転換に、と鎌倉に連れ出してくれた日のことはよく覚えている。海から吹く風に、不安も後悔も全て吹き飛ばされるかのような1日だった。

やっと日本での生活に馴染んできたときだった。
いくら生まれ育った日本とはいえ、しばらくいないと感覚を馴染ませるのには時間がかかる。しかも今回は望まない突然の帰国だったので、体が状況に追いつくのに時間がかかった。

「今は子育てはお休みだと思って、時間がたっぷりあるんだし、何か資格取得や勉強をしてみては?」とアドバイスをもらうこともあったけど、とてもじゃないけどそんな気力はなかった。日々、起き上がるだけで精いっぱいだったのだ。

毎朝、目が覚めるたびに自覚するのだ。ああ、私の隣に可奈はいない。この現実は夢ではないのだ、と。

何に対しても興味も力も湧かなかった。せめて月に一回でも会えていれば状況は違っていたかもしれないけど。

「誰かと結婚して新しく子供を産めばいいじゃない」と言う人もいた。
それはきっと優しさから言ってる言葉だろうし、中には実際にそうやって新しい人生を歩む人もいるんだろうけど、そんなことは想像するのも嫌だった。

可奈の代わりは誰にも務まらない。たとえ私が新たに子どもを産んでも、その子は可奈ではないし、この世界で可奈が母親と引き離されて悲しんでいる事実は変わらないのだから。

仮に新しい家庭を築いとして、その姿を可奈が見たら? それこそ、ママに捨てられたと思わせてしまうのではないか。

バイトの休憩中に珍しく浜田先生から電話があった。裕太が弁護士を通して「次回の調停に母子手帳を持ってきて欲しい。」と言ってきたそうだ。

ハワイに行く前の荷物の殆どが裕太の実家にあったので、私の元に可奈の物はあまりなかったけど、母子手帳だけは実家にあったので、お守りのように大切に持っていたのだ。

母子手帳を奪われる。

まるで母親であるアイデンティティーを取り上げられるような、最後のつながりを奪われるような感覚が体に走り、脱力した。

出産してから定期的に行われる検診の度に、可愛いケースに入れた母子手帳をカバンに入れ、ベビーカーに可奈を乗せて何度も病院に足を運んだ、思い入れのある手帳だ。
予防接種など、色んな状況で母子手帳が必要な事はわかる。だけど、それを相手に渡すことは相当きつかった。

私はレストランの階段で、誰にも見られないように声を殺して泣いたのだった。

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