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怒涛の引っ越しが終ると、急いで在宅でできる仕事を探した。そのほうが、可奈を預かれる確率が高くなるとふんだからだ。この選択は正しかった。

私たちが会う回数は日毎に増えていき、そのうち、泊まりも出来るようになったのだから。

ただ、可奈と会う時は必ず裕太が同席した。やりにくいけど、しょうがない。そこは割り切ることにした。

可奈に、「いつでも来ていいからね。」と伝えると、数日して裕太から「可奈に、いつでも来ていいって言った?考えさせるからやめてくれよ。」と言われた。

きっと可奈が
「今日はママのところに行きたい。」
と言ったんだろう。可奈には嫌われたくない裕太に、断り続けることは不可能だ。また別の方法でアプローチするまでだ。

幸いにも可奈はプールや温泉が大好きだったので、女子更衣室に入れない裕太に同行を頼まれるようになり、次第に「プールや温泉はママと」行くことになっていった。

そうやって私はあの手この手で会う回数を増やし、可奈との距離を縮めていった。

保母さんをしている友人に相談し、「子どもを叱るのは信頼関係が出来てから」と聞いたので、何をしても叱らないで、まずはすべてを受け止めることに努めた。

親子とはいえ、小さい時に引き離されてしまったのでまたイチから関係を作り直す必要がある。

そのうち裕太から、「たまには叱ってくれよ。」と言われたけど、私は決して叱らず、駄々をこねた時は説得したりして、『時』が訪れるのを待った。可奈は、明るく見えても確実に傷ついているはずだ。

裕太にお願いして、可奈の前では込み入った話はせず、何か話したいことがある時はLINEや電話でするようにした。

裕太と私は、可奈を想う気持ちは表現の仕方は違えど同じだ。だからこそ、何とか協力してやっていけたと思う。

そのうち裕太に、「可奈を生んでくれてありがとう。感謝してるよ。」と言われるまでになった。

時が経って気が済んだのか、人は変わるのか。一体どういった心境の変化が裕太にあったのかは全くわからないが、裕太は確実に変わっていった。


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