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44. 審判・裁判官との対面

家裁の決定が下る「審判」は、可奈を連れ去られてから11ヶ月が過ぎた晴れた日に行われた。

いつものように弁護士の浜田先生と駅からバスに揺られて家裁へ行き、待合室で待っていた。すると、調停員さんが現れて「今日から裁判官が変わった」と告げた。

顔こそ出さなかったが、調停でも担当の裁判官がついていたのに、審判になったタイミングで別の裁判官に交代になったようだ。

それがあまり良いことではないのは、浜田先生の憔悴した姿を見たらわかった。
今までの流れは引継ぎされるらしいけれど、あまり期待できるものではなさそうだ。裁判官は転勤が多いらしい。

人の一生を決める大事なものなのに、あまりにも「運」による部分が多い。おかしな話だ。


調停員さんに呼ばれ調停室に行くと、そこには新しい裁判官らしき人と、担当の調停員さんが2人いた。

裁判官は文字通りふんぞり返っていて、私は驚いた。手足の長い、スラっとした男性。「裁判官」というより、言い方は悪いが偉そうな上司のようだった。調停員の人たちが萎縮している。

その裁判官は浜田先生の提出した書面をペラペラとめくり、こう言った。

「あ〜、この案件ね。これは、勝てないよ。負け戦。だから和解しな。」

予想外の雑な意見に私は固まった。今までずっとブレなかった浜田先生も、隣で汗をかいていた。

なんという事だ。
今まで「1%の希望でもいいから賭けたい。」との思いでここまで来たのに、1ですらなく、ゼロになってしまった。いや、元々ゼロだったのだろう。

それから先は何を話していたか覚えてない。

浜田先生が色々言ってくれたけどなしのつぶてで、何か書面を用意するように言われ、調査官調査も、面会の話にもならないで、審判は調停よりもあっさりと終わってしまった。


当事者の子達からさんざん聞いていた言葉が頭に浮かんだ。

「裁判所は、結果ありきで動いているだけの判例主義だ。」

つまり、家裁が出来て最初の連れ去りの判決が「連れ去り側の勝訴」だったので、連れ去った側が親権・監護権を得るという判例が出来てしまった。

日本は判例主義なので、それ以降の判決は、子どもによっぽどの危機があるケース以外は考慮されず、判例に沿って下されるのだ。

あまり信じたくなかったので「そうじゃ無いケースもあるはずだ!」と希望を持ち続けていたけど、私もご多分にもれず、同じ道を辿っていたのだった。

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