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こわれた精神とわたし①

もうかれこれ20年、精神を患っている。現在の診断名は不安障害と、複雑性PTSD、パニック障害。かなりベテランの域に入った精神疾患者である。ボーダー(境界性人格障害)と診断されたこともあるが、もう病名はどうでもよくなった。

初めて精神の苦しさから逃れたい、このまま死んでしまいたいと願ったのは、小学4年の時。校舎の3階に教室があり、吹き抜けの廊下から地面が見えた。人目を盗んで、手すりに足をかけて、何度下を覗き込んだだろう。当時いじめられていた私は、死ぬことで救われると信じていた。

突然、過呼吸を発症したのは20歳の頃。狭い布団の中で、隣に眠る彼氏の寝息を聞きながら、なぜか圧倒的な孤独を感じて、気づいたら息が苦しくなっていた。誰かと一緒にいても、淋しさは拭えなかった。そしてその後も、一番心を許せる相手と一緒にいる時にだけ、この感情が不思議と湧き上がる。いまも。

23歳の時に学習塾で働いていた私は、職場で社員から訳もわからず恫喝されるようになった。まだパワハラという言葉もなかった時代。理不尽だと感じた時は自分も力いっぱい言い返した。事務所で「やってられんわ!」と叫んだこともある。毎日夜中11時過ぎまで働いて、帰途に着く。ある日の帰り、職場から電話があった。事情をよく知らない新米塾長から何があったのかと聞かれた。電話を切った瞬間、今まで経験したことの無いような過呼吸と錯乱状態に襲われた。自覚していた以上に自分はダメージを受けていた。そのことを知って、塾を退職した。

退職したあと、私は無意識のうちに自分の脚に、爪でバツ印を付けるようになった。「何してんのっ!」と当時の彼氏に言われて我に返ると、脚がバツだらけだった。「自分はダメ人間だ」という気持ちが心を支配していたのは、確かだ。どんなに環境を責めるべきときも、私の心の攻撃は自分にまっすぐ向かう。自分をズタズタにしたくなる。「心療内科でも精神科でも行けよ」と彼氏にうんざりされるようになってしまった。彼のうんざりした顔を見たくなくて、何とかバツ印をつけることを我慢した。知らず知らずのうちに、人差し指で親指の付け根を引っ掻くことを覚えた。これは、何かの耐え難い感情が溢れそうな時に、今もしてしまう癖である。それが始まると、彼は私の手を押さえつけた。

本格的な病気の発症はこのあとになる。




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