〈複雑さ〉を受けとめる「ネガティブ・ケイパビリティ」としての対人支援

新しい職場での話

4月から僕は新しい職場で仕事を始めた。いわゆる対人支援職で、施設の利用者の方に対するケアサービスを行っている。今までやってきた仕事は、システム運用や事務などのバックオフィス系が主であった。そういう意味で今回の転職は、まったく畑違いの職種ということになる。

まだ仕事を始めて日が浅いのだが、最初の方は、とにかく利用者の方のお名前や性格、行動傾向を知ろうと躍起になっていた。先輩方にも「○○さんは普段どんな方ですか?どんな傾向がありますか?」と詰め寄るように尋ねた。やる気を見せたいという思いもあったし、既に確認済みの情報があれば前もって把握しておきたい気持ちもあった。

しかし、そんな僕の態度とは裏腹に、返ってくる答えは決まって「そんなに焦らなくても大丈夫ですよ。コミュニケーションを取りながらじっくり理解していけばいいんです。」だった。

最初、あまり納得できなかった。長くその職場で働いている人もいるし、当然利用者の情報をたくさん持っているはずだ。そうであれば、たとえ新人だろうがスタッフ間で事前に情報共有すべきではないのか。出鼻を挫かれたような気がして、正直モヤモヤした気持ちになった。

数日はモヤモヤした気分で働いていた。どうしてもっと明瞭に教えてくれないんだろうか?それでは利用者に対応するときに困るではないか。その都度、忙しそうにしている先輩方に聞けというのだろうか?非効率すぎないだろうか?とさえ思った。

教えの意味

だがそのうち、その言葉の意味するところが少しわかったような気がした。つまり「情報で利用者を把握しようとするのではなく、直接交流して自分の感覚でじっくり相手を理解していくことが大事」だということだ。

僕はこれまでずっと民間企業、しかもベンチャー文化に長く浸ってきたいたものだから、「目標を意識すること」「成果を出し続けること」に常にこだわれと教わってきた。成果を出して会社に貢献しなければ、存在意義がないとさえ考えていた。

しかし、今の職場は違った。そもそも組織の目的が民間とは違うのではあるが、それ以上に、ここで取り組んでいる業務は、単なる「属性情報」のやりとりでは到底成り立たないような「人間を相手にする仕事」なのだ。

「人間を相手にする」と聞くと、どんな仕事だってそりゃあるじゃないかと思うかもしれない。良かれ悪しかれ社内の人間関係はあるし、お客様などのステークホルダーとの関係も当然ある。むしろ人間を相手にしない仕事など存在しないのではないか、と。

残念ながら僕が言いたいのはそういうことではない。つまり、ここで言う「人間を相手にする仕事」というのは、「答えのない問題に対して辛抱強く向き合い続け、耐える力」、言い換えれば「ネガティブ・ケイパビリティ」が職能として要求される仕事である。

複雑なままに受けとめる

人間関係には答えがない。理想的な関係をつくるための正解など誰も持っているはずがない。粘り強くその課題に向き合って、考えるほかない。その地道な試行錯誤の中で、相手を少しずつでもじっくり理解してくこと。

「即断即決」が是とされる多くの民間企業においては、所与の属性を無理にあてがって、相手を理解した「つもり」になってしまう。だが、その論理はビジネスの世界では正しいのだとしても、この職場では通用しない。その「わかったつもり」が利用者への理解を大きく妨げる原因になるかもしれないからだ。

人間を理解するのは、思ったよりも複雑で困難だ。利用者と支援者の相性、環境的要因、気質的要因、体質的要因、その他様々な要素が複雑に絡み合って、ダイナミックな磁場を形成する。その途方もない複雑さの中で、私たちは一人一人の人間を理解しようと必死になる。その際に、その複雑さを一刀両断に解決するのではなく、複雑さを複雑なままに受けとめること。複雑さに真摯に向き合い続けること。

真意は定かではない。が、先輩たちが「じっくり理解していけばいい」と僕に教えてくれたのは、「答えがない」という複雑で困難な状況の中でも、利用者一人一人に向き合い、自分の力で相手を理解することが大事だと伝えたかったからかもしれない、と今の僕は考えている。


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