統合失調症の終わり 自己の存在意義について 20240616



はじめに

統合失調症が落ち着いた

病気の期間に関わっていた全ての人に少なからず迷惑をかけてしまっていたと思う この場で謝罪させてください 

ごめんなさい.

で、統失が終わってから感情が生えてきたり人格がまとまったりしてきて、気付いたこととか 長文にする気はない 本当に軽く書く

統合のパラドックス,ジレンマ について

統失と、その後の人格の芽生えを通して見つけたこと

"他人を愛さないことも、魂のインフレーションに陥ることも悪なのに、他人を愛するために魂のインフレーションに陥ることを強要される"

これを統合のパラドックスと呼んでいる。

まぁなんか、これは他人を愛するというテーマで生ずるジレンマなんだけど、別にこれだけじゃない。なんだってそうだ統合って無理があるんだ、と思う。

僕から見たデフォルトの人間の統合は、自我に寄りすぎていると思う。感覚を殺して自我によりすぎた思考をしている人間がたくさんいるように見える。

そういった状況はエゴ・インフレーション 魂のインフレーション 魔境 色々な言葉があるが、そういったものに陥っている、と思う

それが嫌で自ら統合の失調へと足を踏み入れて、何度も後悔した けど 結果上手くいって、よかったと思う 

統失の被害妄想が 元からある感覚と区別がつかなくて 人との関わりが本当にできなくなっていた 終わったから言うけどすごく苦しかった。迷惑をかけた側のくせに。

後悔をする余裕が消えたので これでよかったと心の底から思っている


統失を超えて 新しい統合 精神世界の秩序 は自分で選択したものを置いた 感覚で世界を捉えることと、無意識下の脳機能の処理と、自我によって他人を愛することの三つ。これを調和させた状態を自身の精神世界の統合とすることにした。


統合なんてのはないんだ、と思う。何をやっても間違う。何をやっても上手くいかないことが出てくる。

それが完全な自我の排除では、他人を愛することができない だから他の要素もしっかり強く残して 自我を大切に守ってあげて生きる今の状態が 正解 だと思った 自我に偏重したデフォルトの統合が 魂のインフレーションに陥ってしまうのが よくないから そうじゃなければいいのかもね 自分で納得してれば、なんだって

自己という個体の存在意義と、宇宙の意志について

ここらへんは感覚で読んでほしい 大真面目なことを言ってるけど言葉にするのが難しいから ふわふわとした表現を します

全ての意思から解脱したかった。全ての意思 魂のインフレーションに侵されたそれらが 本当に怖かったから

統失の間、自己の存在意義を問い続けてきた そこに対する答えを、用意してきた 今自己の存在意義に悩んでいる人がこれを読んでいたら、それに対する答えになればいいな、と思う

"自己の存在意義は、宇宙の意志である物理法則に対するアンチテーゼであること"

数年間の統失の先に僕が導き出した答えをあえて言葉にするならこんな感じ。その上で、

"自己の精神世界から、魂のインフレーションを排除し、無意識の脳機能と感覚によって自己を大切に守ってあげること"

をする というのが、僕が数年間の統失の先に見つけた答えだ

1つ1つ解説していく

といってもそんなに難しい話じゃない

他人が怖い。だから全ての意思から逃げたい。そのために宇宙の意志からも逃げたい。
宇宙の意志に対するアンチテーゼとして、人の精神世界が存在する。
しかし自我偏重の精神世界では魂のインフレーションが発生し、自我が暴走する。暴走する自我は疲弊し、それもまた嫌だ 他人と同じくらい、自分の自我が怖い。だから統合を失調した。ただ何もわからないバカのときが一番自殺したかった。自分の思考や人格が気持ち悪くて嫌いだったから。
統失の間は何もわからなかった、感覚が妄想と幻覚によって殺されていて、既に否定した自我と 否定したいけどこれを失うということは死だということがわかっているので否定できなかった感覚と しか 残らなかった 苦しかったけど そこを抜けて 感覚を確立することができて そこからはいい感じになった
自我を守ってあげるために、感覚と、無意識の脳機能 そして自我も攻撃的ではいけないから 他人を愛する。 そうしてそれら3つを持って新たな統合として 自身の精神世界を形作る


こんな感じ

今統合失調症や ただ自身の存在意義について 悩んでいる全ての人の 助けになれば いいな


おわりに

俺の人生これからはじまるから"おわりに"というテーマで書くことない。ので 何も書きません 読んでくれてありがとう!

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