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自由について

それぞれが自由に過ごせる場を作りたい。そう思って研修生として学んでる。

でも自分にとっての自由が何なのかを持ってないと、すぐに目の前の子供たちは「自由」から「手放し」「無法地帯」になってしまう。
たしかにそれも自由なんだけど、自分の描いていた「自由」とは違う気がしていく。

何でもかんでも許容することが自由?
好き放題行動することが自由?

私にとって保証したい自由は「心の自由」だ。
嬉しいも悲しいも、やりたいもやりたくないも、好きも嫌いも。どの感情にもバツをつけない。蓋をしない。

自分はこう感じてるんだな。君はそう感じてるんだねって見る。その感情に良いも悪いも評価をするじゃなく、認める。そうして、自分を知っていく。自分を生きていくようになる。

相手のやってみたいを応援する。もし、途中でその子がやめたくなっても「やり始めたんだから最後までやらなきゃダメでしょ!」とバツをつけたりはしない。
それよりも、「やめたくなったんだね」「どこか嫌になった?」と相手の気持ちを受け取りながら、その「やめたくなった」背景に何があるのかを知っていく。そうすることで相手も自分がどうしたいのか、何が嫌なのかを知り、自分を受容していく。

人の心は弱りやすいものだと思う。好きなことでさえ相対的にうまくできなきゃ「これが好き」と人に出すのが怖くなったり。何かをして褒められて嬉しくなってから、自分のしたいことよりも褒められる行動を選ぶようになったり。

別にそれがダメってわけじゃない。でも、自分を生きること、自分が居場所になりにくくなる。居場所を何かに依存してしまう。それもきっと自分を守るために必要で、生きるための大事なものなんだろうけど、でも本当はそれぞれが、誰かではなく、自分を生きれるようになれば一人一人が「生きるってなんかいいな」って思えるんじゃないかと思う。

でも自分一人の力で初めからそんな風に生きることはかなり難しいことで。

だからまずは環境が大事になるし、その環境は「人」なんだと思う。感情を認め、存在にOKを出す人。

私は相手にとって、そういう人でありたいと思う。

そんな環境で過ごせた時、人は「自分がどうしたい」が素直に湧いてきて、「自由」に「選べる」状態になるんだと思う。

それぞれがそんな心の自由を持てる場をこれからも学んで作っていきたい。


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