映画ナミビアの砂漠
イオンシネマで映画を観るのにちょうど良い空き時間がありました。
兄に勧められていた「トランスフォーマー/ONE」は時間帯が合わず、師匠の娘さんたちが観たと聞いていた「ナミビアの泉」にしました。
主演の河合優実さんを、「サマーフィルムにのって」をはじめ、知らず知らずよく見ていたこと、ポスターのフレーズに惹かれて。
解説などに一切触れず、わたしの中にあるもので感じたことだけで言葉にしました。
ご容赦ください。
以下ネタバレあり
気付いたら、笑いながら泣いていました。
つじつまの無い言葉でハヤシを責めるカナ。
カナに身を寄せながらも距離を取るハヤシ。
あげくの暴力。
繰り返す。
まだやってんのかコイツら。
そう思いながら溢れてきたのは、言葉にならない関わりを、体でやり合うふたりに対する羨ましさでした。
カナは自由奔放なんかじゃない。
カウンセラーの人が言っていたように「こうでなければならない」抑圧を、無意識のうちに、自分で自分に、何度も繰り返しているせいで、どうしたいのかわからない、手懐けられない感情を言葉にする事も叶わない。
だからこそ抑圧からの反動を、強く激しい形で表面化するしかなかった。
元恋人のホンダには出せなかった。
カナの暴力を受け入れる器が、ホンダには見えなかったから。
カナと同じ強さで返すハヤシにとって、カナは有り難い存在だったりして。
整った笑顔や悲しい声のうしろに隠した暴力性は、同じものを先に見せたカナによって、引き出されたものかも。
それは書いている物語にも繋がりそう。
物投げたり、わざと落とした物拾わせたり、急にキレて殴るとかやっぱコイツむり!!!ってなりながら、お腹が空いたらワケ有り冷凍ミンチ一緒に食べちゃってる。
実は似たもの同士で、互いの抑圧を壊していく。
言葉と体と心にあるチグハグを、"暴力"に魅る、体と体の可能性に溢れた映像体験でした。
麗しの唐田えりかさん登場に歓喜(耳天国)。
後で金子大地さんがサマーフィルムにのってのタイムスリッパーだと知る、端正なお顔の奥に端正じゃないものが見えるミステリー俳優さん。
そして何故かどうしても、映画のタイトルを声にする時、"泉"が頭に浮かびます。
ナミビアの泉じゃなくて〜、、、砂漠!!
繰り返す。
ふたりのあの部屋が、わたしにとって、砂漠にある小さな泉のようなのです。
美化してる?
だって全てはティンプトン♩
見えてる世界は自分の中にあるもので出来ている、だからこの世はティンプトンに満ちている。
自分自身の感覚を通して、体験して"腑に落ちたティンプトン"の先に、かけがえのない豊かさがあるのだと、信じさせられました。
今日も皆んなでティンプトン♩
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