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海の悪魔の実話:黒ひげエドワード・ティーチの真実

はじめに

黒ひげというと、海賊漫画『ワンピース』に登場する四皇の一人、マーシャル・D・ティーチのことを思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、彼の名前や外見は、実在した海賊エドワード・ティーチに由来しています。彼は、17世紀にカリブ海や大西洋の沿岸で略奪を行った、史上最も有名で最も残虐な海賊として知られています。彼の生涯は以下のように語られる。

1680年頃:イングランドで生まれる

黒ひげの本名はエドワード・ティーチと言われていますが、確かな記録はありません。彼の出生地や家族についても不明な点が多く、彼の生い立ちはほとんど知られていません。一説によると、彼は1680年頃にイングランドのブリストルで生まれたとされています。若い頃は船乗りとして働き、イギリスの商船や私掠船に乗っていたと言われています。

1716年:海賊となる

1716年には、ベンジャミン・ホーニゴールドという海賊の仲間になりました。ホーニゴールドは、カリブ海で活動する海賊団の首領の一人でした。彼は、黒ひげに海賊としての基礎を教え、彼の才能を見出しました。黒ひげは、ホーニゴールドの部下として、多くの船を襲って略奪しました。彼は、カットラス(片手刀)を使うのを好み、その武芸と度胸で海賊団の中での地位を上げていきました。

1717年:自分の海賊団を結成する

1717年には、ホーニゴールドが恩赦を受けて海賊をやめた後、彼は自分の海賊団を結成しました。その年の11月には、フランスの奴隷船「ラ・コンコルド」を襲って奪い、自分の旗艦として「クイーン・アンズ・リベンジ」と名付けました。この船は、40門の大砲を備えた強力な船でした。黒ひげは、この船を使って、カリブ海や北アメリカの沿岸で暴れ回り、多くの船を襲って略奪しました。

1718年:恐怖の黒ひげとして名を馳せる

1718年には、黒ひげは自分の顔に火薬の導火線を巻きつけて火をつけたり、髭に火薬を仕込んだりして、敵に恐怖を与えました。この余りに印象的な黒ひげの姿は、後の小説や劇、映画などに登場する海賊の典型例となりました。彼は、自らの海賊旗にも3つのドクロを描き、その残虐さを示しました。

5月には、ノースカロライナ州のチャールズタウン港を封鎖し、町の住民を人質にとって身代金を要求しました。その後、同州のオークラコーク島に拠点を構えましたが、そこでイギリス海軍のロバート・メイナードという士官に襲われました。

1718年11月22日:激闘の末に敗死する

11月22日の夜、メイナードは2隻のスループ船で黒ひげの船に接近し、翌朝に砲撃を開始しました。黒ひげは反撃しましたが、メイナードの船に乗り込んだところで、メイナードとの一騎討ちになりました。黒ひげはメイナードに斬りかかりましたが、メイナードの部下に背後から撃たれて倒れました。メイナードは黒ひげの首を切り落として、自分の船のマストに掲げました。黒ひげの死体は海に投げ捨てられましたが、伝説によると、その死体は首がないのにもかかわらず、船の周りを泳ぎ回ったと言われています。

おわりに

黒ひげ、実名エドワード・ティーチの生涯は、海賊史の中でも特に有名で残忍な章として記憶されています。彼は、無法者としての生き様を貫き、最終的には壮絶な最期を遂げました。彼の首はマストに掲げられ、その死後も彼の名は恐怖の象徴として海の歴史に残り続けています。海賊たちの黄金時代は終わりを告げましたが、黒ひげの物語は、人々の心に強い印象を残すことで、その時代の精神を現代に伝えています。彼の残忍さや戦いにおける恐ろしさは、海賊漫画『ワンピース』のようなフィクションの中でさえ、新たな形で描かれ続けているのです。黒ひげの生涯は、海の歴史における永遠の謎の一つであり、その伝説はこれからも語り継がれることでしょう。

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