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BANANA FISHのBL問題とマイノリティと憧れ

具体的な作品ストーリーに対する言及はあまりないですが、ネタバレに責任を持てないのでご了承ください。

BANANA FISH

著者は吉田秋生。
「別冊少女コミック」にて1985年〜94年に連載されていた作品で、2018年にはアニメ化されている。

簡単にストーリーを紹介するのは難しいが、”バナナ・フィッシュ”という謎の言葉の真相を探るべく、少年・アッシュと英二が奇異な運命に導かれ、翻弄し翻弄されながら様々な問題を抱え戦う物語だ。

BL問題

このBANANA FISHという作品を語る上で必ず出てくる論争といえば、BLなのか、BLではないのか問題である。

・BLの定義
Boys Loveの略称。
男性同士の恋愛をメインに描いた小説や漫画作品などを指す。

・BL肯定派
アッシュは英二を誰よりも大切にし、誰よりも優先する。
対する英二にとっても、アッシュは放っておけない特別な存在だ。

普通の友情を超え、”男性同士”がお互いを強く信頼し”愛”を持って接しているのだから、たとえ性的接触がなくともBL以外の何物でもない。
むしろそれを否定するのは”男性同士”の”愛”=同性愛への否定ではないのか?

・BL否定派
アッシュと英二は確かにお互い”愛”を持っているが、それは友情や恋愛や家族を越えた”愛”だ。
お互いがお互いを唯一無二の存在としている、それ以上でも以下でもない。

そもそも作者が少女漫画として描いているのだから、BLではないのでは。

セクシャルマイノリティ

私がこの問題を語る上で、一つお話しておかなければならないことがある。

アセクシャルアロマンティックというワードについてだ。

アセクシャルとは、他人に対して性的欲求を抱かない人のことである。
アロマンティックとは、他人に対して恋愛感情を抱かない人のことである。

この世には様々な愛の形・・・例えば恋愛、友愛、家族愛、などが代表的だが、その中で”恋愛”の感情がない人のことをそう呼ぶのだ。

でも、恋愛感情がないだけであって、決して”愛”がないわけではない。

”恋愛”や”性愛”がなくてもお互いをパートナーとし、いわゆるお付き合いをしているAセク・Aロマの方々だって地球を見渡せばたくさんいるだろう。

恋は自分本位で、愛は相手本位。

人が人を知り、お互いへの”愛”を持つまでの間に、大体の人は”恋”を挟むのかもしれないが、その感情が存在せず愛することができる人もいる。

なぜこんな話をしたのかというと、私もおそらく今のところ、当事者の一人だからだ。

アッシュと英二の”愛”

それでは、アッシュと英二の間にあるのはなんなのか。

私はこの作品で描かれていたお互いに対する気持ちや行動は”恋”ではないと思う。

アッシュは常に英二のことを思い、危険な目に合わせたくないと幾度となく大切な相棒を自分から引き離そうとしていた。
自分が引き金を引き、心に傷を負ってでも英二の無事を優先する、アッシュはいつだってそういう男だ。

英二は英二で、今まで孤独だったアッシュを”隣”で支え、アッシュの為に自分が出来ることであれば何だってする、1人で戦わせるわけにはいかないと必死でアッシュについていき精神的支柱となる。

そんな2人の間にあるのは自分よがりな感情ではない。
常に相手のことを考え、自分が犠牲になる覚悟でぶつかっていく。
紛れもなく、相手を思い相手を支え、お互いがお互いを必要とするパートナーである。

そんな”守るべきもの”、”大切にしたいもの”、”壊したくないもの”が出来てしまったことがアッシュの最大の弱点となってしまったわけだが、その気持ちは確かに”愛”であって”恋”ではないと私は思う。

結論

よって、私はBANANA FISHをBLではないと結論付けた。

その主な理由としては
 ・BLは男性同士の”恋愛”をメインとした作品を指す
 ・BANANA FISHのメインテーマはアッシュと英二の”恋愛”ではない
となる。

世の中には、ずいぶん”恋”と”愛”と”性欲"を一緒くたに見ている人が多いし、私も今まではその1人だったと思う。
でも、セクシャルマイノリティについて調べていくうちに、それぞれが切り離されているものなのだとわかった。

作品のどこに重きを置くかという話で、BLが登場人物の”恋”と”愛”と”性”の三つをメインに描いているとしたら(例外もあるだろうが、大体の場合は三つ揃っていることが求められていると思う)、BANANA FISHでメインに描かれているのは”愛”だけである。

2人の間に”恋”も”性”もない。
いや、もしかしたらそういった感情もどこかにあった可能性はある。
しかし、作品の主題は「バナナ・フィッシュとアッシュを巡る闘争」であって"恋”も”性”も必要がなく、そもそも作中では描かれていないのだ。
あったにせよなかったにせよ、それを超越した”愛”があることに変わりはない。

これだけ長たらしく色々書いておいて、結局今まで使い古されてきた言葉になるが、BANANA FISHはこの世のすべての愛を越えたアッシュと英二の愛の物語なのである。

憧れ

そして、知らず知らずのうちにそんな2人の関係に私は憧れを抱いていたのだと思う。

彼らはまさしくお互いにとってお互いしか存在せず、今まで出会ってきた大切な家族、友人をも超える、一番強い魂同士の結びつきのような関係なのである。

きっと、アッシュと英二のそんな関係性は”恋”がわからない私にとってまさに理想なのだろう。

恋もなければ性的な触れ合いも描かれない、それでも確かにアッシュと英二は互いを愛し合っている唯一無二のパートナーだ。

実際のところは作者にしかわからないが、私が汲み取る限りは”アセクシャルな関係であり、誰よりも強い絆で結ばれた間柄”なのである。

そんな理想郷は私という現実世界のどこにも存在しないのかもしれないが、夢想し憧れるくらいは許してほしい。

マイノリティの中のマイノリティと言われているらしいAセク・Aロマ。
LGBTの認知は広がってきていても、そこに属さないAセク・Aロマへの理解はまだそれには及ばないのだそうだ。

人々が皆異性に恋して当たり前と思っていたように、今度は恋をすることも当たり前だと思われているのである。

そんな状況なんだから、BANANA FISHをBL=恋愛物語だと言う人がいるのもそれはそうだとしか言いようがない。

一度読了して衝撃を受けたこのBANANA FISHという作品は、今になって私の心にもう一度大きな激震を与えてくれた。

この作品を生み出してくれた吉田秋生先生、出会うきっかけとなったアニメを製作してくれたMAPPA社、そしてBANANA FISHに関わったすべての関係者の皆様に多大なる”愛”と感謝を込めて。


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