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2020/01/16 ある複製本の思い出

今年から、ここ10年ほどできなかった自分の勉強を再開することにした。先日そのために必要となりそうな本を古書店でまとめて購入した。

その中のひとつが今日届いた複製本だ。貴重な古典籍は実物そのままの姿を再現した複製本が作られることがある。ただしその数は決して多くない。限定部数で発行されるのが常だ。

手許に届いたものは、上中下三巻を収める帙こそ少し褪色しているものの、大きな傷みはない。解説も付属している。発行年は昭和10年(1935年)の古いもので、以前は非常に高価な値がついて古書店に並んでいた。当時からは考えられないことだが、今回わたしでも手の届くものが見つかったので購入に至る。

院生の頃はとても自分で買えるものではなかった。でも、自分の勉強のことを考えると、いつかは手許に置きたいと思っていた。そんなときに、F先生が研究室で「これが届きましたよ」と届いたばかりの件の複製本を見せてくださった。一緒に帙を開いて、一冊ずつ確かめさせてくださった。当時は「羨ましいなあ」とか「そのうち先生からお借りして翻刻を確かめてみよう」くらいしか思っていなかった。

もちろんF先生の研究分野に関連する資料ではあるから、先生にとって無関係なものを購入なさったわけではない。でも、すぐに必要だったものでもないはずだ。それなのに、当時非常に高価だった件の本を、ご自身の研究費で買ってくださったことの意味をわたしは考えもしなかった。10年以上経って、ようやくそのことに思い至るなんて。(全然見当違いだったら恥ずかしいけれど。)

帙を開いたときのどきどきを思い出す。あくまでそれは複製本だし、他所で縁がありもっと貴重な古典籍を実際に見せていただく機会にも恵まれた。だから、決して特別な出来事でもない。でも、あのときの記憶は鮮明に思い出せる。

今は大学から離れて久しいけれど、もう一度今の自分にできることから始めてみようと思っている。件の複製本をすぐに使うことはないけれど、その存在は励みになってくれるはずだ。

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