見出し画像

2020/05/18 やっと会えた/当たり前にあらず

ようやく自分の学年の生徒たちが登校した。土曜の新入生登校日と同じで、教室を広く使い(ひとクラスあたり2教室)できる限りの対策をして迎える。

学年の教員の一人は「楽しみすぎて寝られなかった」と言って出勤した。他の担任もそれぞれに準備をしていて、自分のクラスの生徒を迎えられることを喜んでいるのがよく分かった。その様子を見るだけでも、うちの学年の教員はしっかりしているなと感心する。わたしが20代半ばで教員を始めたとき、彼らほど生徒のことを考えられでいたわけでもないし、自分の思いをストレートに生徒に伝えることもできなかった。だから、生徒を大事にする頼もしい彼らのことを、わたしのできる最大限でサポートしたい。

わたしはといえば、2020年度最初の登校ということで、簡単に挨拶と注意点を話すために各クラスを回った。学年主任としての初仕事のような気持ちで、直前までどのように話そうかとふわふわしていたが、ひとまず伝えたいことは話せたはずだ。

生徒たちも個別に親しい友達とは連絡を取っているといっても、学校で会うのは2か月ぶりなので、それぞれに再会を喜んでいた。もっとわーっと騒がしくなるかと思ったけれど、生徒たちは落ち着いていた。そういう振舞いができることがえらい。

担当学年は中3。まだ今年度の動きも分からないことだらけだが、来春の卒業式で「いい3年だった」「いい1年だった」と言えるような、そんな1年を生徒たちには過ごしてもらいたい。

午後には高1が登校した。そのサポートが終わった頃には、脳が酸欠になっているような感じがした。ほんの少し生徒に会っただけでも、エネルギーを随分と使っているのだと実感する。6月から学校が再開できたときに息切れせずにいられるように自身を整えておかねば。

学校は生徒がいてこそ。当然すぎるこのことだけれど、今回の事態がなければ、頭で理解するだけで、ここまでの実感を持つこともなかっただろう。偶然にも、今夜見た配信番組で、俳優の富田翔さんが「舞台に立つことのすべてが当たり前ではないのが、本当に当たり前でないと知った」と話していた。教員が教壇に立つことも同じだと思う。

‪*****
《2020/05/19 補記》
読み返してみると、全体に自分が親バカのような感じがする。意外。

投げ銭用のかごのつもりでサポートエリアを開けております。よろしければお願いいたします。いただいたサポートは本の購入に充てようと思います。(あ、でもプリンを食べてしまうかも。)