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#001/千葉雅也『デッドライン』新潮社


 精力的に活動を続ける哲学者による初めての小説。今季の芥川賞候補作として選出された。作者の千葉氏による『動きすぎてはいけない』『勉強の哲学』が刺激的だったので、ぜひ読みたいと思っていた。

 2000年代初頭、東京で一人暮らしをしながら大学院で哲学を学ぶ主人公「僕」は、研究テーマと向き合いながら修士論文を書く。主人公にとって修論を書くことが、「つねに誤解される可能性」(p13)を持つ言葉を用いて、「どう生きるのか。という素朴な問い」(p107)を考えることとなる。「自由になることが動物になることだという「生成変化」を、ドゥルーズとガタリの共著『千のプラトー』を手掛りに考える中で、主人公にとって「動物になること」は、「女性になること」ではなく「男性になること」だとする。しかし、そこから「言いたいこと」が分からず不安に襲われ、筆が止まる。

 僕は、自分に欠けている「普通の男性性」に憧れていた。おそらくはその欠如感が、僕を動物というテーマへと導いている。動物になることを問う、それは僕にとっては、男とは何かを問うことなのだ。
 動物になること、それは、男になることなのだ。(p121)
 だが、僕はずっともやもやしている。僕の言いたいことは結局何なのだろうか。言いたいことを抑えるも何も、言いたいことがそもそも見えていない。「テクストの現実」に徹することで、言いたいことの不在がいっそう、いよいよ明らかになってしまい、むしろ不安は強くなっていた。
 動物と女性、この二者の関係は自分にとっていかなる問題なのか。(p123)

 小説の何たるかを分かっているわけでもないけれど、本書の第一印象は「小説らしくない」映画のような映像的な小説だというものだった。
       ・主人公を含む名前のない男たちが欲望の海を回遊する
       ・大学での授業、徳永先生の指導
       ・瀬島くんの映画制作
       ・家族との関わり、地元の友人
       ・高校時代からの友人Kとのつきあい
       ・大学の同級生「知子」
様々な場面が断片的に描かれる。それらは緩やかに主人を通して結びつき、モザイク画が構成される。

 中心となるのは、修論を書くことと同性愛を生きることとの関わりなのだけれど、気になったのは、名前の表現。

 主人公「僕」には名前がない。誰かに呼ばれるときも「○○」「○○くん」のように伏字で書かれる。それは姓かもしれないし、名かもしれない。どちらか分からない。同じく名前がないのは、欲望の対象として登場する男たち。主人公もその男たちの中に溶けて回遊する。

 金髪と黒い肌のコントラストが鮮やかな、小柄な男がいる。付きすぎていない筋肉の起伏が、上等な木を使った家具のように美しい。こんなにかわいいのに、つっぱって、男らしく、女を引っぱっていこうとするに違いない。もったいない。バカじゃないのか。抱かれればいいのに。いい男に。(p114)

 名前を持つ人たちと名前のない男たちの狭間にいるのが、高校時代からの友人「K」だ。彼だけ名前がイニシャルで表記される。1年浪人して主人公と同じ大学に進学した彼は、いつも主人公のそばにいる。主人公とドライブをし、瀬島くんの映画の音楽を一緒に作る。しかし、Kについての詳しい描写はあまり出てこない。Kとドライブする夜は「僕たちしか存在しない夜」であったりする。そして、彼が瀬島くんの映画のヒロイン「ヨーコ」が彼女になったと報告する場面で、主人公は「よかった」と思うものの、「ちょっと寂しいというか、Kとの親友関係をいくらか、いや、かなり彼女に奪われるかもな」「女がKを僕から奪うのが気に入らないのだ」(p112)と嫉妬心を自覚している。ああ、この微妙な感じ分かるなあと自分のことのようにひりひりした思いをする。

 一番特異なのが、大学の同級生「知子」だ。本作ではほとんど女性が登場せず、名前が出るのは、先の「ヨーコ」とこの「知子」のみ。主人公の近しい人物として漢字表記の名前を与えられた唯一の女性だ。知子は、主人公と同じ大学、同じ学科、同じ映画サークルに所属したので、主人公との接点が多い。主人公は修論の進捗状況を知子と確認しあい、行き詰まったときの対話相手として彼女を選ぶ。
 電話でしばらく話した後、この小説の中で唯一、主人公の「見えない」場面が描かれる。冷蔵庫で腐ったブロッコリーを捨てるために家を出た知子が感じる匂い、色、音。そして知子の語られぬ「安心」。このとき、主人公は「知子」になっていたのだろう。
 そう考えると、名前のない主人公が、8月の暑い日に知子とふたりで出掛けたとき、猫を見つけた主人公が知子に「○○くんが猫みたいだったよ」(p74)と言われて、「僕は猫になっていた」と思う場面は象徴的だ。主人公の中で、男性・動物・女性の生成変化を経るのだ。

 「高校時代から、インテリっぽいことばのカッコよさにーー内容は二の次でーー憧れていて」(p26)とか、修論執筆に苦戦したり、徳永先生の指導を受けるところとか、ひとりのときはいつも同じものを食べているところとか、自分と重ねて読んでしまって、主人公に共感を覚えて小説世界に潜っていた。おもしろかった。

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いつもは小説を読んでも「おもしろかった」くらいしか言葉にしないから、改めて文章にしてみると、どう書けばよいのか分からずぐるぐるしました。難しい!
新潮社の本書紹介ページには、朝吹真理子さんの素敵な書評が紹介されていて、さすがはプロだと感心しきりです。でも、言葉にするっておもしろいですね。
(2020/01/02読了)



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