生きるために必要ではないのに
「お客さんは今日、漫才を見に来ています! 生きるために必要ではないのに!」
これは、先日の「ザ・セカンド」で金属バットというコンビが披露した漫才のなかのセリフです。
めちゃくちゃおもしろい漫才だったので、ぜひ動画を探して見ていただきたいのですが、僕はこの「生きるために必要ではないのに」っていう切り口が、本当に素晴らしいと思ったんですね。
たとえばネタの中でボケの小林さんは、冒頭の「お客さんは今日~」というフレーズに続けて、料理を例にあげてこう言います。
「料理は生きるために必要なものです。しかし、味付けをしたり、盛り付けにこだわっている時点で、生きるために必要のないものになっています。この時点で、料理は<漫才>なんです」
ここで小林さんのいう「漫才」というのはもちろんボケなわけですが、「生きるために必要かどうか」という切り口は、本当に「深い」と思うんですよ。
それで思い出すのが、コロナ禍の初期の頃にはやった「不要不急」というフレーズ。僕の仕事なんか、本にしたって卓球にしたって、どう考えてもあっという間に「不要不急」サイドに入れられてしまって、本当にむかついていたんですけれど、改めてこの「生きるために必要ではないのに」というフレーズから考え直してみると、とてもおもしろいな、と思うんですよ。
たとえば僕は先日、ちょっとつまづいて足の指を突き指したんですよ。4-5日経ってもまだ少し痛みは残っていますが、この程度のことでは病院にはいきません。でもちょっと検索すると、整形外科や柔整の先生たちが、「突き指は放っておくと危ない」「早期に適切な治療をしたほうがよい」ということを書かれているわけですよ。
「そりゃあ、あんたの商売からすればそうだろう」と思いますが、正直、「突き指の治療」は、「生きるために必要」ではないんですよね。
コロナ禍のときには、外食とか、帰省とか、旅行なんかが「不要不急」というレッテルを貼られていましたが、申し訳ないけれど、それらを抑え込んで優先された「医療」のなかに、どれだけ「生きるために必要」なものがあったのか、疑問ですよね。
逆にいえば、「生きるために必要ではないのに」やっているものこそが、人間にとって生きることの本質である、ということだっていえるんじゃないかと思うわけですよ。創作、娯楽なんていうのはまさにその最たるものですよね。
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