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優れたコミュニケーション、四つの原理

毎週日曜朝の読書勉強会で
読み進めている、ドラッカーの
『プロフェッショナルの条件』

先週でほぼ2/3、Part4 の2章まで来た。
この章のテーマは、
「優れたコミュニケーションとは何か」
というもの。
抜粋元は
『マネジメント―課題、責任、実践』
第38章にある
「マネジメントとコミュニケーション」
となる。
(定番の「赤本」では上中下巻のうちの
「中」に38章が収録されている。)

複数の人間が、様々な見方、読み方を
する読書勉強会の面目躍如
とでも
言うべきか、先般ここを読み進めた際、
驚くべき発見と、そこから派生する
新たな疑問が芽生えたので、
備忘も兼ねてここに書いておきたい。

ドラッカーは、冒頭に近いところで
「すでにわれわれは、コミュニケーション
について四つの原理を知っている」
と宣言し、順に具体例を交えながら
説明を加えていく。

まず一つ目の原理は、
コミュニケーションを成立させるものは、
コミュニケーションの受け手である

というもの。
聞く者がいなければ、発せられた言葉は
ただの意味のない音波に過ぎない。
それはコミュニケーションではない、
と喝破する。

次に二つ目の原理として、
人は知覚することを期待しているもの
だけを知覚する
、というものがある。
見たいものを見て、
聞きたいものを聞く、
いわゆる認知バイアスの話である。

三つ目の原理として、
コミュニケーションは常に、受け手に
対して何かを要求する
、とされる。
受け手に何かになって欲しい、
あるいは何かをして欲しい、
はてまた何かを信じて欲しい、
そうした要求が、受け手の価値観や
欲求などに合えばスムーズだが、
合わなければ激しい抵抗に遭う。

四つ目の原理として、
コミュニケーションと情報は別物で
あり、両者は依存関係にある
、という
ものがある。
コミュニケーションには、感情、価値、
期待、知覚といった人間的な属性が
不可欠
で、そういった属性を除くほど
信頼性の高まる情報とは真逆だ。
ただ、信頼性の高い情報を集めたとて、
コミュニケーションに使われなければ
宝の持ち腐れ。
コミュニケーションにとって情報は
必要とは限らないが、情報にとっては
コミュニケーションが必要不可欠と
いう点は重要である。

さて、これら四つの原理のうち、
二つ目の原理の後に出て来る例として、
新聞の「埋め草」の話が出て来る。
紙面の余白を埋めるために書く、
些細な事柄についての文章だ。

ところが、この部分を読んだときに
どうもしっくりこない。
「埋め草」は、読み手に全くもって
期待されていない些事であるから、
二つ目の原理からすれば、誰からも
知覚されない恐れがある、という
話になるなら理解できる。
しかし、ドラッカーが述べるのは逆で、
「この埋め草がよく読まれ、よく記憶
される」
としているのだ。

参加者の一人が、素早く抜粋元の本を
確認してくれて、何と、元々この例は
二つ目ではなく三つ目の原理の例と
して編まれたものだった
ことを発見。

一人で読んでいたら、この違和感に
何人が気付けただろうか?
仮に気付いたとして、すぐにその
原因にまでたどり着けただろうか?

本来はこの三つ目の原理における例
だと分かったところで、次に疑問と
して湧き上がったのは、一体なぜ、
この本の編集者はそのような変更を
行ったのだろうか?という点である。

これは、訳者の故・上田惇生先生の
意図によるものなのか?
それとも誰か別の方の意図なのか?
ドラッカーの本意は、結局どこに
あったのか?

そんなことを参加者間で議論し、
真相は分からないまでも、
かなり深く突っ込んだところまで
やりとりできた。

色々考えると、興味が尽きない。
このように立体的な本の読み方が
できる
というのが、読書勉強会の
大いなる魅力
であるのは疑いない。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。