見出し画像

札幌の街を歩いてみて

月曜日の午後と火曜日の午前に、
札幌の街をかなりの範囲にわたって
歩き回りました。
火曜日の早朝のランニングも入れると
更に広範囲です。

これまでにも何度か札幌を訪れた
ことはありましたが、出張でちょっと
一泊する程度ではその街を理解する
には不十分。

今回、自分の足で歩き回ったことで、
改めて札幌という街の中心部の様子が
よく分かりました。

そして、今まで「面倒くさそう」と
思って避けていた「住所のルール」
ようやくうっすらですが飲み込めて
来ました。

札幌の「住所のルール」というのは、
正に街が「碁盤の目」になっていて、
東西南北と数字で表現するアレです。

基軸になるのが、大通公園。
東西に長く続いている公園ですね。
東西に長く延びる道を「条」と呼び、
大通公園は実質「0条」となります。

なので、公園の北側が「北1条」、
北へ進むほどに「北2」「北3」と
進んでいきます。

逆に、その南側が「南1条」となり、
南に進むほどに「南2」「南3」と
なるわけですね。

東西の方は、街中を南北に流れる
創成川という小川が基準
となり、
そこから東へ1、2、西へも1、2、
という具合に附番されているのです。

この住所附番ルールから行くと、
札幌のど真ん中は、
「さっぽろテレビ塔」
の辺りだ
ということになりますね。

SAPPOROのマークがAMAZONみたいで面白いですね

テレビ塔自体は大通公園の西の端、
東西を走る「大通」の北側に面した
立地でして、そのすぐ西の脇を
創成川が流れているからです。

実際、テレビ塔の区画は
南北については「0」相当なので
「西1」としか表示されません。
そして、創成川を渡ればそこから
「東1」が始まります。

このど真ん中であるテレビ塔から、
大通と創成川を使って四象限に
分けてみる
と、おおよそこんな
感じになるのではないでしょうか。

左上(北西):官庁街+大学
左下(南西):繁華街
右上(北東):元は田畑、工場など
右下(南東):豊平川とその向こう側

私が主に歩いたのは、左上と左下
偏っており、右上と右下はほとんど
歩き回れていません。
特に右下部分は、豊平川という川が
街の南東部をまるまる切り取るような
形で流れており、札幌といっても
中心部とは大分異なる形で発展した
ように思えます。

豊平川と、広々とした土手

大通周辺とその左下(南西)の
繁華街は、東京になぞらえると、
銀座と新宿の濃いところを一緒に
合わせたような印象
でした。

南1、南2あたりの街は、
三越丸井今井などが立ち並び、
まるで銀座のような趣き

そこから南に少し進むと、
南4がかの有名な「すすきの」
正に新宿歌舞伎町のような街
現れます。

すすきの交差点

そこも過ぎて、南6、南7と下ると、
大分さびれて来て、やがて
中島公園という大きな公園に
たどり着きました。

重要文化財の|豊平館《ほうへいかん》や、
ボートに乗れる大きな池、
コンサートホールや天文台、
文学館に体育センターといった
文化的なコンテンツを全て
詰め込んだような場所
になって
います。

重要文化財の豊平館、「ウルトラマリンブルー」と称する色合いが何とも美しい建物

大通付近に戻って、最初に写真を載せた
「時計台」について少し触れましょう。

「三大ガッカリ観光地」との不名誉な
別名
もあるこの「時計台」。
その名前からは、
ロンドンにあるビッグベンとか、
ニューヨークのタイムズスクエアの
ような壮大なものをイメージするところ、
あまりに小さくてビックリ&ガッカリ
するということのようです。

実際、あれは元々の正しい名称は
「演武場」
であり、そこにたまたま
時計が付いていただけ。

元々の名称である「演武場」として
観光資源化しておけば、「ガッカリ」
などと言われることがなかったのに、
そんな感想を抱いた次第です。

よくよく歴史を振り返ると、
北海道の本格的な開拓が始まってから
まだせいぜい150年強なのですね。

街を歩き、どのように街をつくり
あげてきたかに思いを馳せる時間も、
旅の貴重なひとときでした。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。