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社会学の本質?

「社会学」という言葉の響き自体は、
学生時代の頃から魅力的であった。

私の通った大学では、確か文学部の
専門分野として位置付けられていたと
記憶している。
法学部に所属していた私は、あくまで
一般教養科目の一つとして授業を
受けたものの、深く掘り下げるような
機会もなく、そもそもその授業が
あまり面白くなかったために、
すっかり疎遠になっていた。

しかし、最近ドラッカーに触れる
機会が増えるにつれ、彼が「社会」を
重んじたこと、「機能する社会」を
目指したことが、よく思い起こされる。
そして、満を持しての、この本の出版。
「社会学」に自ずと注意が向くことが
増えているのである。

この本の出版記念講演が昨日行われ、
共著者のお二人から肉声で様々な
お話を伺う有り難いひとときを
堪能した。

その中で、一橋大学の多田教授から、
社会学の本質に関する言及があった。
曰く、社会学の本質とは、人の話を
「きくこと」である
、との由。

私自身、先に述べた通り、学生時代
からこの方疎遠で通して来たため、
社会学の本質が何か?と問われても
ピンとこない。
そもそも社会学って何だろう?
社会とは何かを探る学問?
社会は人で成り立っているから、
人の性質や行動を分析対象にする
もの?

色々な考えがあるのだろうが、
「きくこと」
というあまりにシンプルな答えに、
解の深さがいかほどか、正直な
ところ測りかねている。

「社会生態学者」を自認した
ドラッカーが重視したこと、
それは、現実を直視することだ。
将来は分からない。
まだ到来せぬ未来に何が起こるのか、
それは現実化した際にありのままに
受け入れる他ないもの。

しかし、「既に起こった未来」
丹念に調べ上げることは可能。
すなわち、過去を参照することで、
例えば人口構成のようなほぼ動き
ようのない将来を知り、あるいは
決まったパターンを認識すること
で極めて蓋然性高く将来を見通す
ことは出来る。

そのために最も大切なこと、
それが「きくこと」なのだろう。
「きく」にどの漢字を当てるのか、
質問しておけばよかったと後から
悔いたが、自分で考えるチャンスを
与えられたと前向きに捉える。

恐らくは、「聴く」を当てるのが
正しい、かつ無難な答えと思われる。
人の話に積極的に耳を傾け、人が
物事をどのように捉えているのかを
丹念に読み取っていく。

併せて、「訊く」ことも大切な要素
ではないかと推測する。
仮説を立てて、それが成り立つか
否かを確かめるために尋ねる、
そんなニュアンスだ。

虚心坦懐に聴く、
ありのままを受け止める。
仮説に固執して、話し手の意図を
曲解しては元も子もない。
かといって、何の仮説も抱かずに
ただ受け身に徹するということも、
それで本当にコミュニケーションが
満足いくものとなるのか、心許ない。

徒然なるまま書き殴るうちに、
少々道に迷い込んだようだ。

昨日の話に、良い本の条件は
良質のクエスチョンを持てるもの

というのがあった。
この本を読み、昨日の話を伺った結果、
考えれば考えるほど深みにはまり、
なかなか解へと辿りつかない、
しかしながら辿り着くべく考え続けると
何か得られそうだということだけは
分かっている質問が、グルグルと
頭の中を回っている。

本との対話を楽しみながら、
何度も読み直したい、
早くもそんな気持ちになっている。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。