まえばし詩学校4月

まえばし詩学校4月「エッセイ入門~私というフィクション」

進級と推敲

「結局さ、この『聞く』ってのはさ、お客さんの話に応じたときの『きく』だよね?英語で言う『hear』だから、ここの『きく』は『聴く』なんじゃないかな?」
「たしかに……そんな気がしてきました。」

 毎月10日に画面にかじりついて予約する大学の就活相談は身になると言いつつも、やっぱり社会ってちょっと変だなとか思う。今日もまた、エントリーシートの『きく』を『聴く』に統一することで、人の話を意識的に聞いて応じたことを強調しようという提案により、私の文章表現に制約がかかった。

 文章に制約を受けるエントリーシート添削も、声が気持ち程度に暗いとかで挨拶をやり直す面接練習も、多分やめたらいいと思う。仲のいい同級生はやってないし。ちゃんとやってて偉いとか言われる始末だし。

 でも、毎月画面に張り付いて予約枠が解放されるのを待つのは、怖いからだと思う。先が分からない恐怖。ここで転んだら人生どうしようもなくなる気がする。そんなことはないのだろうけど。

 私は小学六年生の時、中学生になる自分が分からなくて、異生物のようで、怖かった。姉や兄がいないのもあると思う。身近に高校生も中学生もいないから、自我が芽生えてしまった小学校高学年の視界は、その先の未来が真っ暗な異世界だった。

 先日、ちょうど小学校高学年の時期に読んでいた『らくだい魔女』の映画を友人と見に行った。彼女とも行き帰りの車中で今後の大学生活の話、就活の話、をしては少しの苦笑いを繰り返していた。

「でもさ、実際大学も行ってみたらどうってことなかったよね」

 別れ際に言った友人の言葉。
    多分そんな気がする。
 どうってことないまま来てしまった。なんかうまくやれてしまった。そんなの運かもしれない。進んでみたらどうにかなる、それくらいのスタンスで生きていきたいと思う今日この頃である。

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