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鮮明

閉店してから20年が経つ
居酒屋のシャッターの鍵は
もう随分と黒ずんで
ギギ、と耳障りな音を立て
止まった時間を解放した

ところどころ縮れた
縄のれんが頬に触れ
横開きの扉はことのほか
カラカラと軽い音を立てる

幻を見ているのだろうか

目の覚めるような真っ赤なタートルネックに
黒のベストを着て
淡い水色のデニムを履いた祖母が
カウンターで突っ伏し

座敷では
藤色の長袖ポロシャツと
黒のスラックスを合わせた祖父が
仰向けで微動だにせず眠っていた

身を粉にして働き続け、財を成し
常連さんにも惜しまれつつ
引退したふたりは
憧れがつまったマンションで
何不自由なく暮らしているのではなかったか

さまざまな確執のために連絡の頻度も
めっきり少なくなり
私が離婚してからは電話すらしていなかった

こんなことなら、と目を伏せたそのとき
重い空気はゆらぎ
美貌を謳われた祖母が
猫のようなしなやかさで伸びをした

反射的に祖父のほうをみると
強ばった表情はとけ、
口もとがゆるみ、穏やかな寝息が聞こえてきた

「なんでおるん?」

いまさら、というような祖母の声色

それは深層に眠る罪悪感が見せた師走の夢

本当の別れがくる前に
会っておけ、というメッセージだろうか

そう思いつつ
携帯を握る手はまだ電話帳を開けない

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眠れない夜に

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