12.建築の多様性と対立性(R・ヴェンチューリ)ー1982

〈作者について〉
R・ヴェンチューリ(1925-2018)はアメリカの建築家。モダニズム建築のいくつかの前提に疑問を投げかけた1人であり、不注意に機能主義的で、象徴的な意味においての空虚である建築に対し、議論を醸す批判者となる。『建築の多様性と対立性』は、ル・コルビュジエの『建築をめざして』以来の名著である。

〈独自の要約〉
この本は基本的にピューリズムなコルビュジエとヴェンチューリの作品を比較し、コルビュジエの作品をある種強化するような、ある種同様な考えがあると説明するような、そして、ある種対となる点があると述べるような作品である。そして、それによりヴェンチューリの反英雄的、包括的、反語的、歴史主義的な部分を見せていく。
そして、本のタイトルにもあるように、対立性という部分が最も着目され、話は展開していく。

1.多様性と対立性 vs 単純化または絵画風
現代建築は複雑さから逃避し、単純であり、秩序のある合理主義(less is more)な作品が多く存在する。しかし、量や種類、難度などさまざまなものが変化する社会の中で、建築も変化していくべきではないのか。「less is more」(より少ないことはより多いことだ)ではなく、多様性を持つべきなのではないか。排除していく社会ではなく、受け入れていく社会。そこには、断片であり、対立性であり、即興(自由さ)や緊張が存在するのではないか。単調な作品ではなく、単純な作品こそが多様性を持っているのではないか。(less is bore)

2.対立性
対立性は「にもかかわらず」に存在する。その曖昧な空間。はっきりとさせ、単調にさせるのではなく、曖昧さを単純化させる。そして、そこに生まれる対立性には2種類存在する。

2.1. 調整された対立性
全体の中で一部分がずれているような作品。ズレ、つじつま合わせ、アシンメトリー。この対立性には、融通や許容の意味があり、曖昧さや緊張した建築になる。

2.2. 並置された対立性
脈絡なしの隣接が見られる作品。スケールの二重性、形態の独立。この対立性には、強情の意味がみられる。     

対立性には、必ず元となる形態(比較対象)がある。元があるからこそ、対立性が生まれ、二重性が見られる建築になる。そして、この二重性は解消と両者共存に分かれ、両者共存には統一と対立性へとわかれる。
そして、この対立性と多様性を含む建築には複雑な全体(方向性)が存在する。方向性が存在することによって、よりその建築に特徴を与えることができている。

つまり、二重性には、方向、密度、強調、リズム、緊張を与える効果がある。その中でも曲線は象徴性、空間性、方向性を操作する。

最後に筆者はこうまとめる。
本当の意味で多様な建物や都市景観を眺める時、人は、全体のまとまりがあまりに簡単に、あまりに素早く見えてしまうことには満足しない。

〈批評〉
ヴェンチューリは、結局のところ単調な作品(less is bore)ではなく単純な作品を増やすべきだということが言いたかったのではないかと私は思う。

建築に二重性が存在する場合、そこには対立性も存在し、そこの曖昧さというものが現代建築では意識されているが、中には複雑から逃避しているものもある。それに対し、逃避せず、変化していくことが大事なのではないか。
曖昧さは大切だが、その際に生まれる複雑さから目を背けず、現状に向き合い、より単純なものを設計するべきではないかと思う。
ここで注意するべきは、単調な作品にならないようにすること。単調な作品には多様性が損なわれる。多様性と対立性が同時に存在するとき、複雑な全体となり、方向性が生まれる。

そして、この対立性は「にもかかわらず」の部分に存在する。曖昧さは「それとも」の部分に存在する。
どの作品も見ようによっては対立性が存在するのではないかと思う。

単純で曖昧な作品。そして、対立性と多様性が内包されている作品がこれからの時代必要なのではないだろうか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
拙い文章でしたが、何か得られるものがあれば幸いです。

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