コミッション作品#3 探偵たちの夜食

 あいりすはリビングの窓から外を眺めていた。
 黄褐色に染まる街並みが徐々に影に沈んでいく。雲の動きは早い。既に小雨がパラついているようで、窓ガラスには霧吹きをかけたように水滴が付き始めている。……夜半にかけて雨足が強まって行くでしょう……と背後のテレビからは気象予報士の囁きが流れて来ていた。

 嵐が近づいているのだ。

 窓ガラスのあちら側にへばり付く雨粒は見る間に増殖し、風に吹き散らされてお互い同士がくっ付いて大きくなる様は水のくせしてねっとりと纏わり付くようだ。そのカオティックな振る舞いを眺めていると、不意に巨大な柘榴が窓越しに浮かび上がる。

 ――いつの間にやら日がとっぷりと暮れていたので、るんがダイニングの電気を点けたのだ。その結果、夜闇と室内灯の境に位置する窓ガラスが鏡のように室内と真向いのあいりすの顔とを映したという訳である。あいりすが首をかしげると、鏡写しの柘榴が同じ角度に傾いて見せた。

「明かりくらい自分で点けな」
 説教交じりの悪態はともかくとして、声にほんのちょっとばかり疲れが滲んでいたのが珍しく思えて、あいりすは声のした方を振り返る。しかし、るんは既に背を向けていて、表情は窺えず仕舞いだたった。

 あいりすがそのまま身体ごと室内へ向き直りがてら周囲に視線を巡らせてみると、いつの間にやら結城がカウンターに寄りかかって佇んでいたことを始めて気が付いた。
 彼は水を飲んでいたところらしい。手にしたクリスタルグラスを手すさびのように回すにつれて中の氷がからころと快い音を鳴らす。その所作に緊張が見られなかったので、あいりすは『大丈夫な日』なのかな、と判断をする。「雨、降って来たね」と話す調子も角が無く、更に言えば常の様な紫電の閃くような鋭さもまた見られなかったので、一瞬あいりすは結城が眠っているのかとまじまじと顔を眺めてしまったのだが、やはり両足でしっかり立ってこちらを眺めているのであった。

 ――ばん。と大きな音がし、あいりすは反射的に音の発生源の方を見やる。
 るんが冷蔵庫を勢いよく閉めたのだ。(立ち上がって向き直る手元でレジ袋を小さく畳んでいたので、これは買い物してきた食材を仕舞い終えた所だったのだとあいりすは気が付く)流れるように台所仕事を始めたるんの口からポロポロと言葉が漏れ出す。

「とにさー、買い出しはるんしかやれないから行くけどさ、その間家ん中のことは時間止まったみたいに誰もやんないしさ」
 誰ともなしに呟くような調子で有ったが、カウンター越しの結城は「うん」「ごめんね」とつどつど相槌を打つ。その声音はやはりとても静かで、あいりすは気が付いていなかったが常日頃の彼のものにも近いような弛緩した雰囲気が有る。その事がるんを余計に苛立たせていたのだが、それもまたあいりすが察するにはまだまだ二人と過ごす時間は短かった。
「寒いんだか暑いんだかわかんないから、何作って良いかもわかんないしさあ」
「出前取ろうか?」
「……なにそれ。るんが作った物を身体ん中に入れたくないってこと?」
「違うよ」
 結城があいりすの顔にひたりと視線を定めた。あいりすは、見つめられた先にぱちんと火花が散った気がして思わず額を抑えてみる。その、のんびりとした所作が微笑ましく思えたのか、結城のどこか眠たげだった目元がふにゃりと緩むと表情にぱちりと冴えが宿る。

「うん、よし」
 からん。テーブルにグラスを置くと、あいりすにリネン室からシーツを取って来るように言いつける。
「大きくて白い奴だよ。汚れて無くて、できるだけ布がしゃんとしてると尚良い」
 言いつけに従ったあいりすがダイニングを後にする。見送るるんの表情が訝し気なことに気付いた結城はいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「なんか今日はみんな元気が余ってるみたいだから」
 そう告げる結城も踵を返してサービスルームへ向かう。確か、るんが以前ビンゴで当てたプロジェクターが仕舞いこんであった筈だと思い返しながら。
「家に籠ったまんま、楽しい事をして過ごそうよ」

「――楽しい事。っつーか楽しい事って、なんだ?」
 るんは湯船に浸かったまま考える。
「私たちが準備してる間、お風呂に入って来ちゃいなよ。雨に降られて身体冷えちゃったでしょ」という結城の言葉に甘えた形だ。悪天候の日は不安材料が多い。こんな不気味な風が吹く夜は尚更だ。しかし、そんなるんを余所に結城はリラックスして見える……コンディションが比較的良好らしくて、そこは安心材料だ。
 気を回し過ぎて神経を尖らせ過ぎて居たのだな、結城に、それにあいりすに八つ当たりしてしまったと思い直す。この際八つ当たりついでだ。一番風呂だがキャンディーフレーバーのバスオイルを使ってしまおう。

 そうして甘い香りと少しだけ持ち直した気分を伴って風呂から上がったるんがダイニングへ戻ると、室内の様相が随分と変化していた。
 テーブルセットは壁際へどかされており、もう一方の壁面にはシーツが養生テープでピンと張った状態で貼りつけられていた。テーブルとシーツは正対する位置関係で、テーブルの上に乗せられた椅子の座面にはポータブルプロジェクターが据え置かれている。
「なんだこれ」
「おうち映画館でーす」
「映画館」
「あいりすも驚いちゃってるじゃん」
「えー伝えたと思ったんだけどなあ」
「まあいいや。映画たって何流すの?」
「なんでも良いよ。配信してる奴から観たいの探そうよ」
「それは良いんだけどさあ」
 ハイになっている結城を遮るように、るんがツッコミを入れた。

「これBluetooth機能あったの」
「あ」
 やはりそこは思案の外であったらしい。それを受けて、るんは堪らなく愉快な気分となった。
 最後の最後はるん任せかよ!と宙を仰いで叫んだ顔はもう笑っている。説明書と首っ引きになるくらいどうって事ない。夜は長いし、嵐の中を夜明かしするには悪くない提案だった。

 るんがタブレット端末を介して動画を投影する方法を見つける間に、結城とあいりすは事務所中のラグやクッションにビーズソファをかき集め始めて快適な視聴環境づくりに邁進せんとしだした。
 なにやらワイワイ言い合いながらクッション類の配置に熱中している両人は放っておき、一足先にプロジェクターの設定を終わらせたるんは、キッチンへ向かう。映画を観るなら、何かつまめるものも一緒の方が良いだろう。

 が、しかし。程なくしてるんはキッチンの真ん中で腕組みをしたまま大いに悩むこととなる。
「映画といえばポップコーンにコーラ――それにホットドッグ辺り?」
 だが、どのメニューも材料が手元に無い。外は既に土砂降りになっていて、今から買い物しに出るのも億劫だ。(出前を取るという選択肢もあるが、先ほどその件で拗ねて見せたるんとしては、それは最後の手段にしておきたかった)

 結城は家に籠ったままで楽しもうと言ったが、しかし細々とした物事をこなそうとすればそうも行かなくなって来る。こんな事なら、先に話しておいてくれたら良かったのだ。るんがまだ買い出しに行ってる間にでも電話のひとつもくれていればスナック菓子の大袋をいくつかに、ソーセージだってそれっぽい大ぶりの物を買って来れたのに。頭をバリバリと掻きながら思索するが、そうしたところで状況が変化する訳では無かった。
 結城にリクエストの有無を投げかけてみるも、彼の返答もはかばかしい物では無い、というか、いまいちイメージが湧かないという事だった。

 雨音が増している。いや、会話が途絶えたので室外の物音がよく聴こえるだけだ。

「あの、ベーコンエッグ」
 そんな沈黙を、あいりすの発言が破った。

「え?」
「ベーコンエッグ、食べたいです」
「ああ、一昨日の朝にるんが出してた?厚めに切ったベーコンと目玉焼きの黄味が半熟の」
 結城の補足を受けて、あいりすはこっくりと頷く。作成者たるるんも当然思い至る……と、同時に噴き出した。
「――それ、マジで今食べたいってだけじゃん!……あ」
 そして気付く。発想としてはそれで構わないのだと。あいりすの頭越しに、大人二人が顔を見合わせる。
「阿賀野くんに教えられちゃったねえ」
 結城が微笑み、るんはそれを受けてちぇ、と口をとがらせる。

「ねえ、るん、私あれがいいなバッファローウィング」
「ん~……鶏手羽いま無いし、これから下味つけて揚げると時間食うよ。胸肉つかった『なんちゃって』でも良い?」
「うん。あっちは胃にもたれないし夜ならかえって良いかも」
 にま、と笑う結城の表情には力みが見られず、彼が芯からリラックスしている確信を得られたるんの緊張感の最後の欠片もまた、どこかへ流れさって行った。

 その後は何もかもがスムーズに運び、るんは揃いの皿を2枚取り出してディープレッドの方には両面に軽く焼き目を付けたベーコン2枚を敷いて(厚みは少しサービスしてやった)そこに小ぶりの卵で作った目玉焼きを4つ乗せてやり、ストーングレーの方には真っ赤なソースが絡んでてらてらと光沢を放つ鶏むね肉の揚げ焼きをどっさりと盛り付けて傍らに口直しの生の人参とセロリを添えた。

「赤はあいりす、グレーは先生ね」
 めいめいに皿を運ばせてから手拭き替わりのタオルを投げ渡するんの手には大ぶりのグラスが握られていた。
 透明な薄はりのグラスの内側に、スライスしたイチゴやミントを花模様に貼りつけた所に濃い赤紫の液体が満たされている。
「あかい」
「ベリーのスムージーな」
「おや、飲み物だけで足りる?」
「そっちリクエストのガッツリ系作ってたらお腹いっぱいになっちゃったんだよ」
「小腹が空いたら私のチキンちょっと摘まんでも良いよ」
「ん。ありがと」
 るんが脚を投げ出して結城の隣に座る。反対側ではあいりすがクッションに埋もれるように身を預けて、結城が手にしたタブレット端末の画面に見入っている。

「さて、何を観ようか?」
 そこからひとしきり賑やかな会話が繰り広げられ、ようやっと笑いを噛み殺したるんは手にしたグラスをひと舐めしてからリモコンを手に取った。部屋の照明が静かに消え、正面の壁がスクリーンサイズの比率の光にくり抜かれる。

 上映開始だ。

謝辞

当作品はンニ様より頂きました【依頼者様オリジナル作品「死神たちのランチ」の二次創作(メイン登場人物3人の日常っぽいお話)】というリクエストに基づき執筆したものとなります。
ご依頼ありがとうございました。

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