映画「ルックバック」を観て
ほとんど前知識がない状態で偶然にも、映画「ルックバック」を観てきました。
うっすらインターネット上で原作に触れた事があったかなと、観ながら思い出しましたが、ほとんど初見でした。
映像が綺麗とか、音楽がharuka nakamuraさんで嬉しかったとか、創作活動の楽しさとか苦しさがやばいなとか、観た直後は色々と湧いてきました。
そして、何時間かたった今、物凄く苦しく胸が詰まる思いをしているので、これを書いています。
ここからは作品を視聴済みもしくは原作を読了済みであることを前提で書いていますので、一応ネタバレにご注意ください。
この胸の痛みの正体、ほぼ全てがおそらく「悔しさ」なのかなと思います。
私も絵を描いてきた人間で、そして今はもう描かなくなった人間なので、映画の様々なシーンが突き刺さったわけです。
小学校時代、周りよりも絵が上手いと思い込んでいて、同学年のもっと絵が上手い友達を羨みと嫉妬の目で見ていた思い出や、
好きな漫画家やアニメーターの絵に憧れて、画集やポーズ集の模写に明け暮れた日々や、
インターネットが流行り始めて鉛筆で描いた自分の絵を写メで撮って日記に載せていた恥ずかしい記憶や、
初めて絵を仕事として請けたときの天狗になっている痛さや、
その仕事がリリースされたときに寄せられたレビューの「絵が下手過ぎる」という感想を見た時の顔から火が出るくらい恥ずかしく悔しい気持ちや、
小説同人誌の表紙やイラストを担当して、どうしたら売れるのか熱く語り合った時間や、
同人活動でだした自分の一次創作のイラスト集が10冊も売れなかった動揺が、ありありと蘇ってきました。
そして自分の絵を「好きだ」と言い続けてくれた人達の顔を思い出しました。
もう何十年も絵を描いてきて、絵を描く苦しさも楽しさも、全部知ってるはずなのに、それらをすべて過去のものとしている自分に、何よりも悔しさを感じました。
絵は、誰かに見せるとその瞬間から相対的なものとして存在しはじめます。
好きか嫌いか上手いか下手か、それは避けることは出来ず、結果として自分に跳ね返ってきます。
それらを全て受け入れて、飲み込んで、次の絵を描き始めなきゃいけないんです。
羨ましかったり、苦しかったりずっと思いながらそれでも絵を描き続けていくんです。
いつまでも上手くならない自分を情けなく思いつつ、いつかあのアニメーターや漫画家やイラストレーターのように上手くなる自分を信じながら。
そんな時代があったなあ。
何者にもなれなかったけど。
と思っていました。
そしたらこの映画に出会ってしまった。
こんなの観たらもう、また描くしかない。
もう遅いとか、いつまでも絵を描いてるなんてとか、描いてもどうせとか、そんな言葉は言い訳でしかなく。
「自分はなんで絵を描いているんだろう。」
そう思い続けて絵を描いて、そして描かなくなったけど、本当は分かってたんです。
没頭する時間が好きだった。
上手くいかないことが好きだった。
SNSに上げる瞬間が好きだった。
次の絵を思い浮かべる時間が好きだった。
「絵が好きだ」と言ってもらえることが嬉しかった。
上手くなりたかった。
絵を描くことは呪いであり、そして生き甲斐だった。
もう何者にもなれなくていい。見えない背中を追いかけていた、苦しくも楽しいあの日々に、私はきっと戻っていく。
「ルックバック」、人生に刻み込まれた映画が、またひとつ増えました。
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