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アメリカ生活が始まって11か月が経ちました ~カリフォルニア→アリゾナ州への引っ越し~

ピムタです。アメリカ、カリフォルニアに移住してから10か月目で主人のアリゾナ州転勤が決まり、アリゾナ州に引っ越しました。

引っ越し、はっきり言って、日本からアメリカに出国するときより大変だった気がします。もう二度と引っ越ししたくないな~と思っていますが、不要なものを捨てるいい機会になるので、その点はすごくよかったです。

右も左もわからない引っ越し準備と、怒涛の送別会

アリゾナ州に移動するのが6月23日に決まりました。
残念なことに、パッキングするための梱包材は自分たちで用意、荷物のパッキング作業は自分たちでしなければならなくなりました。

日本からアメリカに出国するときは、会社の手配で、パッキングするための梱包材も、パッキング作業も、業者の方におまかせでしたので、まず、どうやってダンボールやプチプチなどを入手できるのかがわかりませんでした。

主人が会社からもらってきたダンボール、プチプチで何とか梱包を始めるも、全然足りず、困っているところに仲の良いインド人のマダムに
「ホームデポに売ってるよ!」と教えてもらいました。

「ホームデポって何?」と聞きましたら、ホームセンターということを教えてもらいました。のちにこの知識がものすごく役に立つことになり、私たち夫婦はホームデポを愛用していくのでした。

なんやかんやで、引っ越し日まであと1週間をきったところで、やっと段ボールとプチプチを手に入れ、梱包開始。ほとんどワンオペだったので、人生で一番しんどい梱包でした。その間に、送別会を兼ねたバーベキュー会や、最後の女子会、主人はミッションピークという山に会社の人と登りに行くという強行軍な日程をこなし、この時期の私たち夫婦の目は完全に死んでました。

遅刻しまくりの引っ越し業者さん

6月の21日から23日に来る予定で、日にちが確定した24時間前に主人に連絡が入るという、ざっくりしすぎなアポイントをかましてきたアメリカの引っ越し業者。それもどうかと思ってたのですが、

21日の朝9時過ぎぐらいに我々の家に来る予定が、いつまでたっても来ない。午後に入ってから連絡を入れると、交通状況がわるいから、到着が14時半になるとの連絡。そして、15時過ぎに来た業者さんとの契約書にサインの段階で、ネットによるサインができず、1時間半ぐらいスタックし、作業が開始となったのは、16時30分を回ったところでした。

おいおい、ふざけんなよ!!と思ってましたけど、思った通り、荷物の運び出しが終わったのが、夜23時を過ぎてました。
夕ご飯も食べれず、ひたすら作業が終わるのを待ち続けた我々夫婦は、半ギレながら、作業員のかたにそれなりのチップを渡し、作業員は喜んで、ロシア語でボンボヤージュ!みたいな言葉をかけてくれました。うっせぇよ、コラ、とは言えませんでした。

色々言いたいことはめちゃくちゃあるけど、けど!!!金輪際会わないと思ったので、笑顔でありがとうと言って作業員を送り出し、夜12時にカールスジュニアのハンバーガーをやけ食いしたのでした。
こんな引っ越し業者になんで3500ドルも払わなければならないのか。アメリカでの理不尽という名の洗礼にあったのでした。

いざアリゾナへ!車で12時間、750マイルの旅

引っ越し業者の洗礼を受けてぼろぼろになった私たち夫婦は、6月23日にぼろぼろのまま車でアリゾナに向かうことになりました。

カリフォルニアのベイエリアからアリゾナのアパート近くのホテルまで、全日程が車で12時間かかる予定でしたので、6時間ほど走ったところで1泊することにしました。バーストローという、デスバレーの南の町のハンプトンホテルです。多分、二度と行かないような、名もなきエリアのようなところでした(失礼)

車での移動の旅は楽しかったです。カリフォルニアの南部は北部やベイエリアと違い、砂漠気候の風景がたくさん見られました。
カリフォルニア州からアリゾナ州に入るときに、アリゾナへようこそ!の看板が見えたのは嬉しかったです!!いよいよきたなーっていう気持ちになりました。

途中、鳥のような雲にも出会いました。アリゾナ州のフェニックス(不死鳥)という町の近くに住む私たちを歓迎してくれているかのようでした。

フェニックス(不死鳥)?

このころは、新しい土地に行くというイベントにわくわくだった私たち。この後、予期せぬ洗礼が待っていたのでした。

以上




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