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0722_夏休みの最序盤、または、たり一貫

 夏休みである。もはや「この一言のためだけに教職をやっている」としても過言ではない。味がしなくなるまでこの言葉をしがんでやる所存。味がしなくなる頃には終わりが見えてきて云々……考えるべきでないことは極力考えずにいこう、少なくとも7月いっぱいは。

 夏休み限定で、note再開。一年ぶりか、と紐解いてみたら驚いた。昨年のゴールデンウィークが最終更新日だったのだ。なぜ昨年の夏休みに書いていなかったのだろう、メンタル的にはとても良かったのに、と思い返す。あ、と思い当たる。なんか、謎のめまい発症で不安に苛まれていたのだった。どうやら今日のnoteは、一年前を思い返したり、夏休み最序盤の雑感あれこれになる予定。

 ↑どうでもいいが、Wordで書いている今「思い返したり」の部分に青い二重線が引かれていて、これは「~たりは繰り返して使います」という指摘らしい。そして、このWordの指摘によって初めて「~たり」は単品で使うべきではないのか、と意識的になった人は多いと見る。職場などで文書を見ると、確かに「~たり」が単品で使われている文章はほぼなく、これはみんなが予め知っていたのではなく、文書作成中に画面上で指摘されそれで修正し仕上げたと見る。
 僕は「言葉」が好きで、だから意識はそこそこ高いと自負し、その上で言うと、全体的にこの「~たり についての知識」ばかりが、他の言葉のルールよりも過度にアンバランスに認知されているように思えてならない。(他の言葉のルールの例は? と言われてもぱっと出てこないが)
 以前、人の作成した文章に鬼の首をとったかのように「~たり は一回だけで使わないよ、直して!」と断罪している人を見たが、静かにはっきり真一文字に「あぁはなりたくないな」と思ったものである。寛容でありたいな、と思うし、ラクに手に入れた知識を振りかざしたくないな、とも。長年思い続けてきた話題を供養できてよかった。今の自分は、「正しいだけの文法だったら不要。温度感や伝わりやすさ重視」。「~たり」だって一貫だけで提供するときもあるファイティングスタイル。

 逸れた話題が膨らんで、はや800文字超。1000文字程度を目指す俺のnote。ピンチ。
 一年前の夏休み、歩いていたり、目だけでキッと視界の端を捉えようとすると、くらっとめまいがしたのだ。そんなことは初めてで、途端に怖くなったのだが、カジュアルに受診は難しい時期だった。そんな中の東京出張などもあったので、いまいち満喫する気持ちになれなかったのだった、と思い出す。結果まったく問題なかったわけだが、人生初MRIをしてもらうなど、それなりに稀有な夏休みだった。タイヘンだったね、とその頃の自分に言ってやりたい気持ち半分、「でもnoteくらい書けたんちゃうん」も半分。

 とにかく、少し時間的に余裕がある夏休みなので、このような駄文であっても何か出す、よく言えばアウトプットそうでないならば排泄、するのは、必ず自分を健やかに保つことに繋がると信じる。なにより楽しい。

 今日は朝から洗濯し、先月負傷した左手小指の再受診をしてきた(レントゲン再撮影、骨に異常はなく、やはり関節の負傷)。
 この後は、なじみの喫茶店に行き、昼からだけ提供の名物プリンをいただきに行く。平日なので行列はないと願って。
 ずっとradiko聞いています。上沼恵美子は本当におしゃべりが上手だと思う。

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