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映画「少年の君」と、汲み取れたわずかなもの

 昨日は映画「少年の君」を観てきた。信用している筋のひとつであるYouTubeチャンネル「米粒写経の談話室」内、松崎健夫さんの映画紹介コーナーで取り上げられていたから(9月18日配信分)。本当にそれだけしか情報源はなく、この手の映画はたとえば職場で話題になっていることもまずない。つまりこの機を逃すときっと一生観ないまま終わることになり、俄然見逃してはならないものと思えるのである。やはり、「レコメンドされたら問答無用に観る」と決める信用筋を持つのは良いことだ。

 テーマは、いじめ。とにかくえぐい。時代が進むにつれて、いじめる理由だったり手段だったり解決法だったりが変わりうるが、いじめの本質だけはいつまで経っても変わらない。だから、映画でいじめの描写を作るのはそれほど難しいものではないのかな、と考えることもある。いや、本質は同じでも、苦しみや痛さ、その他言いようのない気持ちは一人ひとり違うからこそ、きっと演技や撮り方も、考えているよりもずっとずっと難しいのだろうと思う。

 観終えて改めて「米粒写経の談話室」の当該部分を見返す。松崎さんの言っていた「良い映画に違いない、と確信したシーン」を振り返る。詳細はYouTubeや映画本編に譲るとして、松崎さんの解説に「なるほど~確かに!」と膝を叩いた。映画の見方の引き出しというか、知識経験の蓄積というか……御見それする。教わって新たな見方が備わる感覚はいくつになってもしびれるくらい楽しい。

 あと、冒頭と結びのシーン、英単語“playground”。こちらもYouTube内での見立てがただただ切ない。上映時間135分、2時間超の映画は最近見ているようで見ていないように思う。展開も想定を超えてくるものがあり、始まってすぐの印象よりもものすごい大作だと思う。あの松崎さんをして「今年のベストかもしれない」と言わしめた意味もよく分かる。もう一度観たいかと考えると悩むところだが……。

 いじめ。それについて思うことは山ほどあるが、まとめきれないから書けない。でも、昨日は映画を観たからということもあって、ちょっとぼーっと考えてしまった。中学だったり、高校だったり、大人になってからのあれも、もしかして、とか。そんな自分は、いじめられた経験はない。多分、一度も。そしていじめた経験もない、と思っているが、正直なところ分からない。なくならないのだろうなぁこの先も、ということだけは分かる。YouTube内で、「この映画を観て、まだいじめをやるような人がいたら、それはもう人間じゃない」とあった。そう信じたい部分もあるが、自分は、この映画を観ても、いじめをやる奴はやるのだろうな、と思ってしまった。そのことだけはいつも頭に置いておこうと思った。可能性として「いじめが起こらない場」は、残念ながら無いものと思っておく。だからこそ地に足のついた希望を持ったり、ムードを作ったりできるものもあるからだ。

 最近で言えば、「スイング・ステート」も観ました。あと、諸事情あって、ゆうべ遅くDVDで「パイレーツ・オブ・カリビアン」の一作目も。ハラハラドキドキして、めちゃくちゃおもしろかった。

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