瞑想と演奏の間に - フレッド・ハーシュ「ブレス・バイ・ブレス」によせて
音の巡礼ガイドの遠藤卓也です。
ポッドキャスト「Temple Morning Radio」の後半は「音の巡礼」コーナーとして全国各地のお坊さんのお経を流していますが、日常的にお経に触れることの少なかったリスナーたちから「お経を聴くと仕事に集中できる」「通勤中に聴くお経で自分を整えている」といった感想をよくいただきます。
儀式の場でお唱えされてきた、”ハレ” の音要素でもあるお経が、”ケ”にある自宅のスピーカーや通勤中のイヤホンから流れだしたことによってわかったひとつの側面かもしれません。お経は、その「音」だけを切り出しても確かに場の空気を変えるはたらきがあるのだと思います。
僕らが普段、CDやレコードやサブスクで聴いているポピュラー音楽やクラシック音楽にも、場の空気を変える力は多分にあります。Jackson 5が鳴り響けば「Let’s Party!」な気分が盛り上がるし、静謐なアンビエント音楽やエレクトロニカは瞑想的な気持ちに誘ってくれるでしょう。
場の空気を一変させる音楽。僕が特にすごいなといつも思っているのは例えば ドイツのバンド Can の「Future Days」。この作品は一曲目の長めのイントロからして何やら良い香りが漂ってくるような雰囲気があって、聴覚から嗅覚にまで訴えてくる何かをはらんでいます。
マインドフルネスがテーマのジャズ作品「ブレス・バイ・ブレス」
先月、音楽の仕事をしている知人と久々に会いました。東日本大震災の直後に音楽仲間を通じて知り合った関口滋子さんは、当時レコード会社に勤めていてジャズの作品を扱っていました。
僕は「誰そ彼」というお寺の音楽会を主催しているので平田王子さんという素敵なアーティストを出演者として紹介していただいたり、ピアニストの渋谷毅さんのライブ会場に行くと大抵いらっしゃるので、そこで近況を交換しあうような仲でした。
最後にお会いしたのは2019年の夏、渋谷毅さんと二階堂和美さんのデュオのライブの時ですから、もう2年以上のこと。
SNSで久々に関口さんの投稿をお見かけしたので読んでみると、ご自身で音楽レーベル「Free Flying Productions」を立ち上げてフレッド・ハーシュの新作をリリースしたとのお知らせでした。
フレッド・ハーシュは「現代最高峰のピアノ詩人」とも称されるピアニスト。僕も大好きで過去作をよく聴いていました。えーっ、すごい!しかも、関口さんのこんなコメントが添えられています。
これは「音の巡礼」としても非常に興味深い作品であると直感し、すぐに関口さんに久々のご連絡をして新作「ブレス・バイ・ブレス」をオーダーしました。
「場の空気を一変させる」音楽
届いたCDを再生してみると、まさに前述の「場の空気を一変させる」力をもった音楽でした。アルバム一枚がひとつのストーリーのようでもあります。
「Begin Again」で始まり「Awakened Heart」や「Know That You Are」という曲がありながら、「Monkey Mind」「Mara」(!)みたいな曲もある。ピアノトリオ+弦楽四重奏による演奏なので言葉(歌)はなくとも、タイトルや音からそのストーリー性が伝わります。
本人の解説によると、8曲目までが「サティ組曲 Sati Suite」※1 という組曲で、その各章は彼が長年行なってきたヴィパッサナー瞑想に触発されたものだそう。10数年前にHIVによって昏睡状態に陥ったフレッド・ハーシュは、メディテーションやマインドフルネスを心の支えとしてきたのです。
関口さんは「組曲には、迷いやざわつきといったことを織り込んでいて、美しさとともに興味深かった」と仰っていましたが、音を聴くとそれがよくわかります。まさに “あるがままに受け入れる肯定感”や、“しなやかな強さ” を描いているように感じられるのです。
内省と交流の境界を示すための「音」
以前、禅僧の星覚さんと永平寺へ「禅の旅」をしたときに、その静かな自然環境はこういう土地でしかなし得ないことであり、禅の修行道場としてとても重要な要素であると実感しました。東京の自宅で坐禅なんてできないわけです。都会暮らしにとっては非日常的な静けさが、修行僧にとっては日常であるということ。
ハーシュ自身が日々行なっている瞑想もきっと静けさの中にあり、それは彼にとって”ケ”以外の何ものでもないはず。
瞑想やマインドフルネスに触発されて作曲・演奏された音楽が、CDに記録されて僕の部屋に届く。部屋のスピーカーを通して流れでた音が「場の空気を一変させる」。まるで自分の部屋じゃないような感じが、一瞬ふわっと巻き起こりました。開放感がありながら、心はとっても落ち着いていて静か。不思議な感覚ですが、ハーシュの音楽に感じるのはそういうことなのです。
宗教儀式においては「音」が重用されています。お経や歌、そして鐘や太鼓などの鳴り物。それは坐禅や瞑想と比べると対照的ですが、修行道場での生活においては毎日の修行と、時々の法要(儀式)が ”ハレ”と”ケ”を織りなしているのではないかと想像します。
昨年11月にお参りした奈良・長谷寺の朝勤では、ご本尊の前の舞台から見える山々にむかって僧侶たちが「遥拝」していくパートが印象的でした。法要は、仏様や神様や亡き人たち、そしてその場にいるすべての人たちとのコミュニケーションなのだと感じました。
つまり修行生活のベースが “ケ” に属する内省的活動であるとしたら、法要などの儀式は精神の交流の場。その境界をあらわすためにも鐘や太鼓が鳴らされ、読経という形でメッセージを発しているのだと捉えられます。
やはり「音」が、場の空気を変えるのです。
そのグラデーションはまさに今回のフレッド・ハーシュの作品にも当てはまるのでしょう。
日々の瞑想の内省的静けさから、ピアノ演奏という形でのメッセージ性の発露。それは、共演ミュージシャンとの対話でもあり、僕のようなリスナーとの感覚的交流であるともいえましょう。
「ブレス・バイ・ブレス」という作品を、部屋で再生した時の言いようのない心地よさは、遠く離れた地に住む一人のピアニストからの回向を感じ取っているからかもしれません。
※ ディスクユニオンのサイトで試聴できます リンク
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?