読書会で仏教を伝えるお坊さんのこと
先日、とある雑誌の連載記事のため、千葉県千葉市 日蓮宗 本休寺住職の岩田親靜(しんじょう)さんにZoomインタビューをしました。
岩田さんはコロナ以降オンライン読書会をなさっています。定員は少人数ながら常連メンバーの関係性は強く、参加者からは「これだけが生活のガス抜きだよ」と言われるほどに必要とされているそう。
オンラインの読書会が、なぜそのような場となっているのか?詳しく聞いてみたいと思って、さらに質問してみました。
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遠藤 岩田さんにとっての読書会は、もしかして仏教を伝えることにつながっていますか?
遠藤 なぜでしょうか?
遠藤 自ずから考えるきっかけとしての場づくりということですか?
とても共感しました。僕は岩田さんのように仏教に精通していませんが、普遍的なことなので理解ができます。
例えば、読書を通じて物語にふれることで登場人物の気持ちを想像したり、我が身をお話しの中に置いてみる力が養われます。そういった心の運動が起きることにより情緒が育まれるのだと思います。情緒は生きていく上でとても大切な要素。情緒が人生を豊かにしてくれると、僕は考えています。
だから岩田さんの読書会等の場づくりへの思いを聞いて、嬉しくなりました。お坊さんが仏教を伝えるやり方も色々あっていいです。もちろんお題目やお念仏がしっくりくる方もあれば、やっぱ坐禅よという方もいらっしゃる。その多様性が日本の仏教の魅力でもあるわけです。
この「音の巡礼」で僕がイメージする巡礼の道とは、その多様性を巡る旅ともいえます。お寺の本堂で読経するのもいい。坐禅するのもいい。境内のお掃除でも、音楽会でも、読書会でも。
そして多様性を紹介するのが「音の巡礼」note。一緒に体験してみるのが先日始めた「音巡り講」サークルということなのだと、自分でも整理することができました。
「音巡り講」サークルのはじめてのオンラインの集いは「岩田親靜さんと読書会をしよう!」にしたいと思っています。
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