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神の思いは、人の思いと異なる

私が修道生活に入ってから聞かされ続けた言葉の一つは、「与えられた仕事を従順に受け入れる時、必要な恵みはついてくる」でした。

アメリカの修練院に突然派遣された時も、その地で博士号取得を言い渡された時も、そして岡山への赴任を命じられた時も、その翌年、前任者の急死によって、三十六歳で学長職に任命された時も、この「恵みは与えられた仕事についてくる」という信頼が、私にその試練を乗り越えて行く力を与えてくれました。

自ら求めたものではない境遇、立場、仕事…、これらは、一つとして、私の人生設計の中にはありませんでした。「神の思いは、人の思いと異なる」のです。

しかし、それらの「こんな筈ではなかった」ことを一つひとつ受け入れ、大いなるものの恵みを信じて努力する時、人はそれらを乗り越えて行く力を与えられるのだと、経験で知りました。

渡辺和子さんは、「天から選ばれた方」というのにふさわしい方なのではないでしょうか。

幼少期に目の前で軍人の父が暗殺されるという壮絶な体験。
洗礼を受けてシスターとなってから、大きな役割を次々と担うことになる。勇気付けて励ます言葉を、著作を通じて多くの人に届けた方。

ご本人は、「それらの「こんな筈ではなかった」ことを一つひとつ受け入れ、大いなるものの恵みを信じて努力する時、人はそれらを乗り越えて行く力を与えられる」と謙虚に語っておられますが、和子さん本人が、もとからその器を備えられた方だったに違いないと思うのです。

頑張れば頑張るほど、役目と支援を天から与えられる人。そんな生き方に私はとても憧れます。もとの器の大小は違うとしても… 少しでも近づきたいものです。

私も、こうなりたいな、とか、ああなりたいな、とか、願望は多々あります。頑張っても、そのようになれない自分と対峙しなければならないことも、あるかもかも知れません。希望でない仕事を任されることもあるでしょうし、報われないことも、不本意なことも、必ずあります。そんな時、どんな私を神は望んでおられるのだろう、と、つねにその一点を求めて続けていける人になりたいです。

続きます。

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