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自分が自分を愛すること

自分が満たされていないと、自分の欲求を満たすことに精いっぱいで、他人の存在の大切さに気づくゆとりがなくなります。つまり、人は満たされていないと、相手を自分の欲求不満を解消する道具として見てしまいがちです。そして、欲求を満たしてくれる人は大切にしても、そうでない人を遠ざけたり、その人と共にいると退屈したりすることがあります。つまり、人は相手を、自分の欲求不満を満たしてくれるか、くれないか、という尺度で見てしまうことが多くなるのです。

いくら経済的に、また物質的に満たされていても、心の中が平和で満たされているかどうか、喜びで満たされているかどうか、実はそれがとても大事なのです。「満腹人間が今の世の中多すぎて、満足人間が少なくなった。そして、このことが、今の青少年の非行の原因となっている」という言葉に、本当にそうかもしれないと思ったことがあります。(中略)

人はパンのみで生きるのではない」のです。(中略)

他人が大切にしてくれない時、他人が自分の欲求を満たしてくれない時はどうしましょう。自分で自分を大切にすること、自分が自分を愛することが必要なのです。

何が人を生かすのか。本文には聖書の一節「人はパンのみで生きるのではない」が引用されています。

他人に依らない、自給自足の、尽きることない自己肯定。「自分の気分が良くて幸せならば良い」というナルシシズム(自己愛)とも異なる、真の自己肯定。これが、どれほど心の中の湧き出る泉となって人生のあらゆる場面で助けてくれるものなのか、それさえあれば、最悪他のものが足りなくても、何でも出来る活力になるのだということを、留学先のフィンランドで痛感してきました。

私自身のうまくいかない就職活動の中で自己否定せざるを得なかった時。子ども時代の傷を大人になっても癒せていない周囲の人たちと接する時(フィンランド、結構いっぱいいる)。揺るぎない自己肯定とは一体どこから来るのか。という大きな問いに、じっくり向き合っています。(その勉強をしに来たという訳ではないんだけど。)

シスターの渡辺和子さんの著作「愛と祈りで子どもは育つ」の中には、私が言葉にできないでいた感覚的なもやもやした思いが、温かい慈しみに溢れる言葉で綴られています。タイトルだけ見ると子育ての指南書のようですが、まったくそうではありません。

子どもでも、大人でも、躓くこと、うまくいかないことはいくらでもあります。そんななか、どう自分の足で立つか。歩くか。人はどのように成熟した人間性を獲得していけるのか(その努力の過程で、どうしても克服できない不完全性への敗北も受け容れることも学びながら)… ということが、ご自身の人生観と信仰に裏打ちされた文章で記されています。

続きます。

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