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5年間、泣けなくなった話

中学生の頃、両親が離婚して以来、2人いるはずの親は1人になりました。30歳の時に母親が亡くなり「冷蔵庫の製氷器は自動的に氷が作られるものだ」と思い込んでいた世間知らず(水を注いだことがなかった)は、強制的に大人にならざるを得なくなりました。

0/1という孤独

親の死というイベント。
"1/2"の喪失で済ませられる人と、"0/"1という決定的な喪失を味わう人。つまり、両親がいる人と、片親の人。痛みには、随分と差があります。2つある臓器の1つなら…とかあるじゃないですか。それが1つしかないとなると、話は違ってくるでしょう。だから、片親の人たちの親の死とは、随分と違うんです。もしかすると、両親がいる人たちには想像もできないかもしれません。相当な痛みです。でもだからって、離婚に悩んでいる女性がこの投稿を読んでくれているとしたら、「迷わず離婚してください」と思いますけどね(だって、あなたの人生だから)。

電車の中で

母の死から1年が過ぎたある日、電車に乗って加古川だったか、姫路だったか、ネクタイを締めて営業先に向かっていました。当時はサラリーマンをしながら、身体の勉強をしているとかそんな時期でした。

母親と幼児園の年長さんぐらいの男の子が、電車に乗ってきた途端。感情の動きの実感がないまま、突如、涙が溢れ出しました。普通、何が普通かわからないですが、普通は親友の葬式だとかコンテクスト(文脈)の中で涙を流すはずです。少なくとも自分は、そういう認識でした。感情のダムに段階的に水が貯まって放出されるようなイメージで、泣くという行為を捉えていました。それが、文脈なく涙が突然に溢れ出したのです。

嗚咽。電車の中の無関心な人たちも目を向けざるを得ないレベルに。すぐに次の駅で降りて、心を落ち着かせてから、また電車に乗る。こんな謎の現象が、数回続きました。

何度か続くと、自己憐憫に酔う余裕もなくなりました。また同じように。突如泣いてしまった僕は、同じように次の駅に降り、閑散とした小さな駅のベンチに座って、呪文を唱えました。

「泣いたらあかん、あかん、もうオカンは死んでるんや、俺はもうオッサンなんや。泣いたらあかん、泣くの恥や、泣いたら負けや、ありえんやろ、オッサンがキモいやんけ」

涙が枯れる

その呪文を唱えた翌日から、まったく泣くことがなくなりました。ピタッとその日以来、泣かなくなりました。安堵していましたが、泣きたい時にも泣けなくなったことに数ヶ月経って気づきます。

恋人との別れ。
親友との決別。
メンターの死。

送別会といったイベントはまだしも、恋人が感情を爆発させて泣いている時に、僕は泣けずに「なんだこれ…」といったこともあったり。とてもお世話になった特別なメンターの告別式にも、周囲は全員泣いているのに、ぼく1人は泣いていない。

「おいおい、涙くん、出てくれないと俺、相当冷酷な人間みたいやんけ、いや、めっちゃ悲しいはずやのに、どないなってんねん」

こころのED(勃起不全)のような状態になっているのか、頭がおかしくなってしまったのか、人生でもかなり大きなショッキングなイベントのはずなのに、どうなっているんだろうと誰にも打ち明けられず、僕は悩み始めました。

理由を知る

伝説的な瞑想者プンジャジ(パパジ)の直弟子だったリーラジャ師と直接話す機会があって、このことを相談しました。彼女は、強い意思力で泣かないように自分の潜在意識に自分で鍵を掛けたままになっていることを教えてくれました。彼女は僕を抱きしめ、「もう大丈夫…」といったことを話しかけてくれました。

それまで「なぜ泣けなくなったのか」に気づいていなかった僕は、理由を知り、「なるほど」と思ったものの、抱きしめられながら「ここで、ブワァ〜と泣けたらニーラジャも他の参加者も、めっちゃええ感じやのに、涙がん〜、うっすら出たと言えば出たけど、ん〜イマイチやなあ。まずいなあ」などと思ったりしていました。

理由を知れたものの、こころのED(勃起不全)は治りませんでした。

「あのプンジャジの直弟子のニーラジャ師に抱きしめられて、あんな言葉をかけられても泣けないって、俺のこころ、ヤバいやろ。どないなってんねん」

父親と向き合う

結論から言うと、父親と向き合ったことで数年後、再び、自然に泣けるようになりました。

母親の死によって、"0/1"と決めつけていた僕ですが、父親は当時、まだ生きていました。その父親、僕を虐待して、母との離婚前から別の女と子供を作って、別に家庭を持っていた父親。その父親と向き合うことによって、"1/2"だったことに気づき、父の孤独、淋しさなどを理解できるようになり、泣けなくなった苦しみから解放されました。そして、その後、その父親の死を看取ることもできました。後妻やその子供たちからも見放されて、ぼくの妹にも嫌われたままだったので、僕が許していなければ、父は無縁仏となっていました。無駄な税金を使わずに済みました。

「映画ルックバック、面白い!」

先日、映画ルックバックをひとり観に行って、涙腺崩壊してしまったところ、隣のカップルの視線を感じて、このこと(泣けなくなった話)を思い出したわけです。一瞬、うるさくてゴメンね。でも、おっちゃん泣けなかったことがあったから、許してちょんまげ。


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