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Expansional Pilatesについて

はじめに

Expansional Pilatesの誕生の経緯は、私自身が生み出したものでありながら、なかなかユニークです。

私がどう生きてきたか。その人生の一部をお伝えすることで、他のピラティスとどう違うのかが、文化哲学的な意味においても、その効果効能やメソッドとしての違いにおいても、理解していただけると思います。

変わりたかった私の人生

そもそも、私自身がこころと身体の健康を大きく損なったこと。
それがExpansional Pilatesのそもそもの誕生の根っこに存在します。人間の可能性への模索。簡単に言えば、「人は後天的に変わり得るのか」の追求、その長い旅の中でこのメソッドは誕生しました。

若い時分、鬱から抜け出し社会復帰を遂げた私は、激しいウェイトトレーニングによって2度とあのような状態に戻るまい、強い自分自身を手に入れなければならないと考えました。同時に自己啓発セミナーに通ったり、心にも目を向けると心身どちらも成長することで幸せを得られるはずだと考えたのです。

当時のわたしは、「強くなることで人生を変えたかった」わけです。

変わらなかった私の人生

身体を鍛えて逞しくしても、自己啓発セミナーに参加しても、実際は怒りっぽい性格は変わらなかったし、ときにひどい孤独感を感じる瞬間もありました。人生に安らぎはなく、欠乏感が続いていました。ボディビルの大会に出たらどうかを勧められるほどの見た目でありながら、腰痛は慢性的で鍼灸治療に毎週、通い続けていました。

腰痛を誤魔化しながら、我慢しながら肥大化する筋肉。その先に、救急車で運ばれて入院。椎間板ヘルニアによって手術をすることに。そして、入院先で腸捻転(腸閉塞)を併発。生死を彷徨うレベルでの緊急オペ。心身はボロボロで、後遺症も残り、排便の制御もできない。生殖機能も失うという悲惨な状態のまま、歩行器生活。そして、医師から見捨てられるような形で退院することに。

生死を彷徨った後に

そこで、自宅でこもりながらピラティスと真剣に向き合うことになりました。話が前後しますが、実は入院する前年に、某N州立大学のピラティスの資格を取得していたのです。女性に混じって、ムキムキの身体で受講していた当時の私の姿は想像すると滑稽な気もしますが、当時の私はピラティスの本質をこの資格団体から教えてもらうことなく、表層を撫でただけで資格発行されてしまっていたのです。資格ビジネスとは残念ながら、ほとんどそのようなものなのです。当時の私はピラティスを心身に落とし込むことが出来ないまま、資格取得して、ピラティスが体現できていないことで、椎間板ヘルニアになって入院する羽目になってしまったのです。

退院後の寝たきり生活の中で、文字通り人生を賭けて、ピラティスの教科書と解剖学書を読み込みながら、養成コースではさらっと流されていくプレピラティスと呼ばれるピラティスをする前の準備ワークに真剣に取り組みました。その結果、医師も見放した状況から回復して麻痺は軽減していき、日常生活を問題なく送れるようになったのです。医師は「信じられない」といった表情で私の報告を聞きました。奇跡がピラティスによって起きたように感じられました。

その資格団体でのコースは残念ながら、創始者自身から学んだものではなく、コースを担当した講師はプレピラティスの価値を到底理解してはいませんでした。ですが、私にとって幸運だったことはこのN州立大学公認のピラティス資格は西海岸スタイルのイヴジェントリーの流れを汲んでいたことでした。講師はさらっと流したものの、その教科書にはプレピラティスが記載されていたこと。それが、私自身を救ってくれたのです。

2つのピラティス

ピラティスにはジョセフピラティス氏自身の教えを大切にしたクラシカルなものと、ジョセフピラティスの弟子であり、同僚でもあったイヴ・ジェントリーからの流れの2つが存在しています。西海岸スタイルの身体に優しいピラティス、理学療法や医学とより協働的に発展した文脈のピラティスが、その後の経験も含めて、Expnansional Pilatesの大きな軸となっています。最後にピラティスを学んだマリジョゼブロムからは約4年、直接指導を受けて、マシーンその他含めてフル認定を頂いています。彼女以外からも2団体、どちらも西海岸スタイルのピラティスを学びました。

計3団体の資格を有していることになりますが、私自身の心身への探究は、さまざまな経緯があり、意図しない形でピラティス以外に広がっていきました。

心身の可能性の探求

その前後には、ヤムナボディローリングフランクリンメソッドオステオパシーオーストラリアン徒手療法、これらはプロフェッショナル向けのコースなどを通して、長い期間、学ばせて頂きました。コースのみ受講して資格試験を受けなかったり、資格は得たものの更新しなかったり様々ですが、どれも素晴らしい学びや経験を私に与えてくれました。

他にも気功フェルデンクライスアイボディ(アレクサンダーテクニーク)韓氏意拳ヴィパッサナー瞑想集中内観なども経験しました。

ロルフィング、エド博士との出会い

もっとも私にとって衝撃的だったのは、ロルフィング、エドモーピン博士との出会いでした。高齢の博士が最後に来日しておこなうコースに、私は門外漢ながら衝動的に参加したのです。博士のボディワークによって、「人は後天的に変わり得るのだ」という確信を本当の意味で得ることができました。

教師という立場、人に何かを教えるという立場を経験した人は、「変わる人は変わる(成長する人は成長する)。でも、変わらない人もやはりいる(成長しない人もいる)」。その現実を受け入れながら、職場で上司をしたり、誰かに何かを教えたり、人間関係を続けているはずです。私自身もそうでした。

でも、エドモーピン博士に出会って、「人は誰もが変わり得るのだ」と彼のボディワークを通して感じることができました。言葉ではなく、博士のタッチ(触れること)によって感じられたことも感動的でした。

エドモーピン博士の晩酌をしながら、博士からこう切り出されます。

「タイキ、わたしのロルフィングを通して見つけたエクスパンショナルバランスを、ピラティスに落とし込んだ新しいピラティスを作ったらどうだ」

20代で一流大学で博士号を取得して、禅における論文をアメリカ心理学会で最初に発表した世界最年長ロルファーであるエドモーピン博士。博士からの提案から、Expansional Pilatesを創始するための努力がはじまりました。博士の住むサンディエゴを行き来しながら、技術の研鑽を続けながら、完成したメソッド。それが、エクスパンショナルピラティスです。

そして、このメソッドを習得していただくためのコースを、あなたに届けたいのです。

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