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本家の後継 1 歓迎されない赤ちゃん

私の歴史についてお話しさせていただこうと思います。

最悪の人生の中で、自分を育て心の平和を得るまでに至った話をこれを読んでくれる人の参考にしていただけたらと思います。

先に言い逃れしておきますが、本当に参考になるかどうかは、あなた次第です。興味のある方はお付き合いください。

この話は、実在の人物が登場しますので、仮名とさせていただいています。


昭和30年代。

田舎のある農家に子供が生まれました。

その家は本家で後継になる子が待ち望まれていました。


父親の名は真一

母の名はまさ子


冬の寒い日。

外は深く雪がつもっていて農作業は無く、真一は時々日雇いに出たりして日銭を稼ぐような生活をしていました。

家には真一の母親と、臨月を迎えた妻のまさ子。

真一は、田舎の本家の長男で家を継いでいました。

父親は真一が12さいの頃に戦争で亡くなっていました。


真一とまさ子が結婚したのは、真一の父親とまさ子の父親が親友だったことから、父親を戦争で亡くした真一のために、父親がわりに力になりたいと言う優しい気持ちからでした。

当時、真一は少しヤンチャが過ぎると言いますか、ちょっと手に負えない行き過ぎたところがあったみたいで、まさ子の父は、男親が早くにいなくなったせいでそうなってしまったのだろうと、自分が親のつもりで関わればきっと、落ち着いてくれるに違いない。親友だった人の息子なのだから、根は間違いがないはずだと心から受け入れてくれてのことでした。


娘のまさ子には、少しだけ他の人と違うところがありました。

生まれつき、耳の形が片方だけ潰れたような形をしていたために、髪の毛でいつも隠していました。

今なら、そのくらいで差別されることはほとんど無いでしょうが、昔の事でしかも田舎ですから、人として十分な引目を感じていたそうです。

そのような兼ね合いもあって、まさ子の結婚に対しても何かしらの考えがあったのか、真一に嫁がせることを決めてしまったのでした。

家長の決定は絶対的だった封建的な頃の話ですから、たとえ、まさ子が了承しなくても、それは許されることはありませんでした。

とはいえ、まさ子の父も一方的過ぎないように自分の考えを、じっくりと話して聞かせ、まさ子を渋々ながらも納得させました。

真一26才、まさ子20才は結婚し、新しい生活を始めたのでした。


真一の生活は、やはり父親がいなかったのが影響しているのか、自由気ままそのものでした。

せっかく仕事をして稼いだお金も、家に入れる前にお酒やギャンブルに消えて行きました。

家の生活費は国から支給される戦没者慰労給付金(恩給)です。

真一は自分の稼ぎが無くなると、それさえも当てにすることがありました。


真一とまさ子に初めての子供が出来ると、真一は思いのほか喜びました。

「きっと親になれば真一も生活を改めるようになってくれるに違いない」

誰もがそんな期待を抱いて赤ん坊が生まれてくる日を待ちわびていました。


寒い冬の日、待望の赤ちゃんがうまれました。

「元気な女の子ですよ。」と産婆さんの声。

まさ子の体も順調です。

「そうか。女か。」と真一。


まさ子は床上げ(出産後21日は安静にしている状態)が終わり、実家から嫁ぎ先に戻りました。


真一は家でいつものように酒を飲んでいました。

頭の中には、知人から言われた「女の子供じゃ後継にゃなんねえな!」と言う言葉が離れませんでした。

正直なところ、真一自身も同じように思っていたのです。

酒の量が重なって、正気がだんだんと薄れてきた時のこと、日頃からの乱暴な一面を抑えていたものが外れてしまいました。

まさ子の耳に、言い争う声が届きました。

真一の母の声です。

「何すんの!やめなさい!」

続けて真一の声。

「女なんかいらん!」「殺してしまえ!」

騒がしい声とともに、たまたま来ていた真一の妹がまさ子の所に血相を変えて走り込んできました。

「早く!」「こっちに!」

そう言うと、まさ子と赤ん坊を押入れの中に押し込めました。


異様な目をしながら包丁を手にした真一が、部屋に入って来て怒鳴り散らしました。

まさ子は押入れの中で赤ん坊を抱きながら震えていました。


この時には、真一の母親と妹がなんとかその場をなだめ、ことなきを得ましたが、先が思いやられる重大な出来事だったのは言うまでもありません。

今の私なら、「即、離婚。はいハンコ。」となるでしょうがが、当時のことですから、そうは行きません。

こんなことがあり実家に行くと、まさ子の父は心を痛めながらも、まさ子を説得しました。

「真一もお前もまだ若いし、自分も一生懸命に真一を諭していくから、簡単に投げ出したりするようじゃ、この先どこでなにやっても認めちゃくれないよ。」

最もらしいことを言い、出戻りにしないことも当時は親の愛情だったのだと思います。

そして母まさ子は、苦労の日々を送ることになったのです。


こんな両親の元に私が生まれるのは、これからまだまだ先の話です。

このあと、波乱万丈な人生を生まれてきて、一時は何もかもが嫌になることとなるのですが、今振り返ると人生は不思議と嫌なことばかりではありませんでした。

思い出しながら、子供時代から順番に歴史を辿ろうと思います。

この続きはまた、次回に。



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