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「なれのはて」から学べること

みなさん、こんちにわ。ぴくむんです。
今回は、ちょっと試行を変えてただ映画の予告をみた感想を書きたいと思います。
いつもみたいに長くないので、さくっと読めると思います。

橘玲先生のツイートをきっかけに、とある映画の予告を見てしまった。

フィリピンパブにハマり、日本を捨ててフィリピンに移住し、生活が困窮した人にフォーカスを当てた映画である。私は地方なので、多分この映画の本編を見ることはできないが、予告だけでもお腹いっぱいになるような内容であった。

「成れの果て」とは一体なんなのか。
そうならない為に、何ができるのかを考察してみた。

「なれのはて」の意味は、

落ちぶれていった結果の有様、没落して最終的に行き着いた状況、などを意味する表現。
weblioより

である。

「成れの果て」を使うタイミングは、人が人を評価するときに使う。
具体的には、真っ当な人生を歩んできた人たちが、そうでない人たちに向かって酷い状況になったときに使う。

しかし、よくよく考えてみると、逆でも成立すると私は思う。

「成れの果て」に出てきた貧困邦人が「日本というレールに乗って自分の人生を生きられずに最後は孤独死した日本人」に向かって、「あれが安定の道にしがみついた成れの果てだ」と言うのも十分に成り立つとは思わないだろうか。

「成れの果て」という言葉は、悪い状況に陥った時に誰でも言われる言葉なのだ。
つまり、人から「成れの果て」とか、「落ちぶれた」とか言われようが無視していいのだと私は思う。

できることは、ただ、グッと力を溜めて、勝海舟が言うように、「じっと屈んでいればいいのサ。」

しかし、これらが通用するのは、積み重ねてきた人間の話であって、映画の「成れの果て」に出てくるような人たちは残念ながらそういう風には見えない。

プロフィールを読んでいろいろツッコミたいところがあるが、結局はお金の問題のように見える。

もし、彼らがそれなりの家で暮らしていたら別に映画にもなることはなかっただろう。彼らが注目されているのは、貧困だからである。

それでは、貧困にならない為にはどうすればいいだろうか。

に書いてある通り、「スキルを磨く事」と「人間関係を大事にする」ことであろう。

映画に出てくる人たちは、結局のところ、新しい関係に熱を燃やしてしまい家族を含む現在持っている人間関係を蔑ろにしてしまった。

それが全てだと私は思う。

もちろん事情もあるだろうし、外野の私が「ごちゃごちゃ」言ってはいけないのだが、彼らが人間関係を蔑ろにしてきたことは否定できないだろう。

もし私が、何も考えずにタイトルをつけるのであれば、

「今までの築いてきた人間関係を蔑ろにした結果、全てを失い、行き着いた先でその重要さに気づいた者達。」と言うのが私としてはしっくりくるかも知れない。


私たちにできることは、彼らの人生をちゃんと向き合って、学べるところは学ぶことだと思う。

そして、私の結論としては、
「人間関係を大事にする。スキルをちゃんと磨き続ける。」
これを深く心に刻み直すことが、彼らの人生に意味を持たせ、リスペクトすることになるのだと私は思う。

そんな、なんとも言えない気持ちにさせてくれた橘玲先生のツイートであった。


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