正しい主張なんて暴力の前には何の意味も持たない。(詭弁、論理的思考批判シリーズ)

こんにちわ。
私は、国から実生活で役に立たない学問ばかり教えられ、「系統的に現代社会で役に立つ学問がない」、研究は学問の醍醐味であるにもかかわらず「大多数の人は研究をする機会がない」ことが気に食わないので、国なんてあてにせずに、自分の力で「実生活に役に立つ学問の確立」することや、研究の醍醐味を知ってもらうために大学に行かなくても「誰でも研究できる環境の整備」する活動をしています。

この記事では、「実生活に役に立つ学問の確立」の一歩として、詭弁について論じていきます。いきなり論理的思考の批判から入られても困るかもしれませんが、いつかちゃんと系統立てて、やるのでそれまでは順番が前後するのはご容赦ください。一応どこから読んでも理解できる様に書いているつもりです。

この詭弁、論理的思考批判シリーズでは、日常生活においていかに詭弁が蔓延しているか、それを詭弁だから虚偽であるという一言で終わらせていいかということについて論じていきます。このシリーズを通して、みなさんの議論のレベルが上がることを期待してシリーズを始めました。

この記事は、香西秀信先生の「論より詭弁」の内容を、私というフィルターを通して書いております。私というフィルターはかなりアクが強いので、もはや別の内容になっているレベルなので、面白いと思った方はぜひ原作を購入を検討してください。

初回は、論理的思考を用いて相手の主張を論破したあとのその先について論じていきます。

それでは、よろしくお願いします。 

以下、本文。

論理的な思考というのは、詭弁を学べばある程度身につく。しかし、実生活において論理的な思考が必ずどの場面でも役に立つかと言ったら実はそうでもないというところから入りたい。

ある場面では、ある程度詭弁を学んだ者は、騙されにくくもなり自分を助ける事にもなる。

例えば、

私「自分がされて嫌なことは、人にもするな」
A氏「お前は自分がされて嫌でなければ、人にしても良いと言いたいのか」
私「いやその論調はおかしい。それは虚偽である。」
(Wikipedia 詭弁:前件否定の虚偽 参照) 

という様に、相手に悪意があるかどうかは別として、相手の虚偽を利用した主張に対して一撃を加えて、自分の主張を守ることができる。
しかし、残念ながらこの様な論理的な思考というのは必ずしも役に立つわけではない。詭弁の種類の中には、「脅迫論証」というものがある。これは文字通り相手を脅迫する論調である。

設定 私:弱者貧乏人、A氏:強者金持ち

私「自分がされて嫌なことは、人にもするな」
A氏「お前は自分がされて嫌でなければ、人にしても良いと言いたいのか」
私「いやその論調はおかしい。それは虚偽である。」
A氏「うるせぇ。貧乏人は黙ってろ。(私の顔面を殴りつける)」
私「犯罪行為だ。警察を呼べ。」
A氏「警察はここにはこねぇよ。裏金を渡してあるからな。裁判したって無駄だよ。全部示談にしてやるから。というか全てが無駄だよ。これからお前をさらって、私の牢屋で一生拷問して、永遠の苦しみを与えるのだからな!」

屈強な男達に連れ去られながら、
私「お前は、前件否定の虚偽と脅迫論証をしているー!」
と叫ぶが誰も助けてはくれない。こうやって私はA氏を怒らせてしまい、悲惨な最後を迎えるのでした。

BAD END

これは、非現実的であまりにも極端な例ではあり、意味不明な設定ではある。しかし、私が言いたいことは、あくまで論理的に正しいということと、現実が論理的に動くかというのは全く別な話なのである。

人間は論理よりも感情で動く。

例えば、勉強する重要性は頭では理解していても、やる気なんて起きるわけがない。しかし、次のテスト満点とれば、憧れの異性に己の欲望を全てぶつけてもいい権利が得られるとしたら、己の全ての力を駆使して、勉強をするだろう。

アニメドラえもんで言えば、出来杉の言うことは正しいけど、なんか癪に障るからボコボコにしてやろう。という様な感じである。

悲しいけれども、時として現実はこの様に論理なんて微塵も役に立たない。
戦時中に、民間人が敵国の兵士に向かって、
「民間人の私を殺したら、戦争法違反ですよ。」
と脅したところで、鉛玉がプレゼントされるだけである。 

別のパターンで言えば、セールスマンが来て
「今使っている給湯器では、ガス漏れする危険がありますので、新しい給湯器を買いませんか?」
と営業を受けた際に、不純動機の転嫁だと思い、
「どーせ、お前は物を売りたいだけだから、ガス漏れとかほざいているだけだろ。早く消えろ。」
と追い返したら、本当にガス漏れして、家が全焼した。
みたいなケースも存在する。

情報が流れてきた理由とその情報が正しいか間違っているか、というのは必ずしも因果関係があるわけではないのである。

勘違いして欲しくないのは、必ずしもセールスを信じろと言いたいわけではない。ちゃんと相手の言っている立場を理解して、それが論理的に正しいか考え、他の人に相談し、リスクとリターンを天秤にかけてから決断するべきである。

以上をまとめると、現実世界においては詭弁を学んだからと言って、それが日常生活で使えるかというのは別問題である。人間は感情的な生き物であり、議論するときは必ず力関係が存在する。だから、我々はそのことに留意し、相手が言ったことが虚偽であったとしても、相手の主張をちゃんと検証し、その一歩先まで考えてから物事を話さなければならないだろう。

次回からは、言語化と詭弁というのは切っても切れない関係にあり、日常生活において詭弁がありふれている事について紹介する。

以上。

いかがだったでしょうか。

シリーズ幕開けということもあり、ちょっと中身が薄い内容になってしまったかもしれません。詭弁を学ぶ事により、騙されにくくなるかもしれませんが、それがいい結果を導くのは別問題であります。

例えると、刃物が使えたからといって、使い方次第で便利にもなれば不幸な事だって起きるという事です。
このシリーズを通して、刃物を使うタイミング、使い方、無意識のうちに刃物を振り回していないか等を学んでいただけたらと思います。

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それではまた!

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