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『百鬼夜行抄』 ~朧ろな世界に投入される大胆な切り札とは?

今市子の『百鬼夜行抄』は、非常に狭くて小さな舞台で演じられる「能」のような作品です。

ビジュアルの印象から述べますと、妖怪ものだけあってかなりの部分が一軒の家の中で終結する作品が多く、そのほとんどは日本家屋です。

日本文化の持つデザインや生活様式から湧き出して、じめじめとまとわりついてくる霊気は独特の湿度を放ち、水場のように物の怪どもを惹きつけるのでありましょう。

この泉から汲まれる水の柔らかさが尋常のものではありません。

廊下や部屋の片隅のちょっとした暗がりは魔界の闇へと直結しており、読者の意識の下に潜んでいる民俗的な記憶が、その水脈を通ってちょろりちょろりと流れ出しているかのようです。

ところが、そんな幽玄な空間で繰り広げられるドラマには、なんとがっちりと「どんでん返し」が仕掛けられております。

そして、その突然の暗転がもたらす混乱はクライマックスに投入される「切り札」の一撃によって鮮やかに、しかしまるで悪夢からの目覚めのように、怖ろしくも不思議に懐かしい感覚を残しながら収束します。

特筆すべきはこの「切り札」の紛れ込ませ方です。

まさしく日常に溶け込んだ妖かしのように何気なく、静かに、しかし微かな違和感を醸し出しながら私たちはいつの間にかその「存在」を見ています。

見過ごしている、と言ってもいいのでしょう。だから切り札が切られたとき、非常にびっくりします。さすがは妖怪のお話なのであります。

どんでん返しの意外性、切り札の見過ごさせっぷり。振り幅の大きさが、読みきり1話70ページという分量を支えるだけの濃厚なストーリーを構成するポイントになっています。

当代きっての「型」使いの名手・今市子によって織り上げられた、1話1話がハリウッドで映画化されてもおかしくないほどの、非常に完成度の高い構成を持っているこの『百鬼夜行抄』。

漫画家や原作者、編集者を志すのであれば、必ず読んでおくべき作品です。ほーれ、そこにも何者かの放った式神が……。

『百鬼夜行抄』(今市子/朝日新聞出版)


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