見出し画像

工芸品と現代アートの境界線

久々の展覧会です。こちらは当館と共に『陶磁ネットワーク』の一員である岐阜県現代陶芸美術館の展覧会。開催前に当館に届いたポスターをみて、監視員がざわついた噂の展覧会です。何を一体ざわざわしたかって?そりゃもちろん『スルメ』に決まってます。こんなの気になるに決まってるじゃないですか。まったくもう。前回のジュエリーの展覧会のポスターもみんなざわつきましたが、今回のは二度見レベルですよね。というわけで、お休みの隙に行って参りました。
実は先日テレビでもこちらのスルメとカラスと月下美人は取り上げられておりまして、たまたま私は録画して視聴済みでした。そして、何よりも、以前からツイッターでフォローさせて頂いている木工象嵌作家、福田亨氏の作品が出展されると、ご本人からの告知もありました。これは見に行かないという選択肢がありませんよね。
実はこちらの展覧会、今回で【第三弾】になります。残念ながら私がこの展覧会に気付いたのが第二弾からでしたので、コンプリートはなりませんでしたが、明治の工芸品の一大コレクションで知られる清水三年坂美術館の協力の下、当時花開いた、凄まじいとしか言いようのない超絶技巧の職人技によって創り上げられた工芸作品の数々と、現代の工芸作家による同じく凄まじい超絶技巧によって生み出された作品の対決(としか言い様がない)した展覧会。息をするのを忘れてしまいそうな物凄い濃密な展示作品の数々。

まずは展示室の一番最初にあるのは稲崎栄利子氏の陶磁作品。陶磁作品と言っても、いわゆる器ではありません。こちらの作品は、陶土を芯にして表面にびっしりと磁器で作った微細なパーツを取り付けた【現像(Crystallization)】という作品と、【霧雨(Drizzle)】この二点はどちらも2018年制作のもので、焼き物であるにもかかわらず、まるで珊瑚礁のような生き物めいた雰囲気を醸し出しています。あまりに細かく繊細な作品に、まず『一体どうやって作ったのか』と考えます。そして次に並んでいる二作品を見て、さらになされた作品の進化に息をのみました。2023年制作の(つまり新作)【Amrita】と【Euphoria】、非常に細かに繋がり合った鎖のようなパーツはそれぞれ融着せずに動かすことが出来るようになっているという解説を見るに至って、(いやいや、陶磁器だし)あまりの超絶技巧にまず一撃。こちらもどことなく生き物の気配を感じさせる作品でした。

 続いての展示は以前『和巧絶佳』展でも取り上げられた池田晃将氏の螺鈿作品。こちらも青貝をレーザー加工して創り出した無数の数字の形のパーツなどを組み合わせた、デジタルの世界の具現化したような作品で知られた方です。伝統的な漆と青貝を使った蒔絵という技法で、まるで集積回路のようにも見える質感の作品。アナログな技法により構築された、デジタルをイメージさせる世界観の作品群。そしてしかも美しい。

その二つの超絶技巧作品から先へ進むと、福田亨氏の作品です。稲崎氏、池田氏の超絶技巧とは対照的に、一見素朴さを感じさせる色合いの作風。   
木目の美しさと、樹という素材の持つ天然の色を生かして組み合わせて創り上げた『木彫象嵌』という技法による作品。一切着色をしていないのにもかかわらず鮮やかな蝶と、一枚の板を彫刻して、板の上にまるで本当に水滴が載っているかのように見える【吸水】。繊細で、蝶の足の細さなどを考えるとこちらも超絶技巧と言って良いのでしょう。飽くなき探究心と日々の技術の研鑽によって生まれた超絶技巧だと思いますね。そして、会場で配布されている作品出品リストの素材の欄をみてさらにびっくり。『素材』として掲載されている木材の種類のなんと豊富なことか。黒檀、黒柿などは家具にも使用されているメジャー級の素材ですが、朱利桜、神代楡、黄楊、槐(だんだん読み仮名が必要なレベルとなりますね。)作者である福田亨氏は、着色をせずに素材本来の持つ色を使って作品の表現をする。つまり様々な樹木の性質を熟知していなくては、これらの色鮮やかな蝶の羽の模様は再現できないと云うことですね。
素晴らしい世界を堪能いたしました。

その先の展示室には樋渡賢氏の非常に繊細な羽の描写に息をのむ棗と、明治工芸の旗手白山松哉の向かい合わせでの対決。
続いて現代の、彦十蒔絵の作者、若宮隆志氏の乾漆技法によって本物そっくりに制作された金槌、モンキー(レンチ)、工具箱と、向かい合わせて木彫の松本涼氏の極限までの薄さに削り出して造られた葡萄『黄昏』や、笑う頭蓋骨の『髑髏柳』等の展示。金槌はどう見ても本物にしか見えないし、表裏共に強度の限界まで薄く削り込まれた葡萄の粒に生命の儚さなどを感じさせられました。

続いては現代の木彫作家の岩崎努氏のリアリティーに満ちた瑞々しいサクランボや、無花果、柿や筍と向かい合わせで安藤緑山の牙彫の柿や貝尽しを見比べながら、改めて明治という時代の特異性に思いを馳せる事となりました。現代では当たり前のように本物そっくりの造形物を様々な最新技術を駆使すればいくらでも再現可能であるのに対して、当時、一体どれほどの努力と経験を注ぎ込めば、これほどまでの作品群を創り出すことになるのか。
改めて明治工芸というモノのすさまじさに、息をするのを忘れていたようですね。いまだに安藤緑山の作品における、象牙の着彩方法に関しては謎が解明されていないというのも、超絶技巧と言われている所以でしょう。

その先の部屋ではガラス工芸作家の青木美歌氏による『あなたと私の間に』
こちらは図録の写真で観るのと、展示室という空間での鑑賞とで大分印象の違う作品です。ガラスという無機物によって形成されているにもかかわらず、そこにあるのは植物の生命感。今にも展示ケースの中でひっそりと成長していきそうな繊細な美しさの作品群、是非とも会場にてご覧頂きたいです。きらめくガラスの表現に無限の可能性を秘めた作品、早逝が悔やまれます。

その先に広がるのは盛田亜耶氏の切り絵の世界。壁面に展開する作品から受ける浮遊感を疑問に感じて近寄ってじっくり展示方法を観察してしまい(これは私のほぼ習性のようなモノ。)あることに気付いて驚愕。『ヴィーナスの誕生』と、『マグダラのマリア』、どちらの作品も非常に大きな、かつ、ほとんど輪郭線で形成されたような細密表現の切り絵作品ですが、これを壁面に展開して固定しているのは実は虫ピン。先端部分がくぎの頭のように丸く広がった細いアレですよ。無数の虫ピンに引っかけるようにして壁面から数ミリ浮かせた位置で作品を展開、固定しているのです。ライティングの妙技も相まって作品本体とその創り出す影の共演。・・・まさかこの数の虫ピン、展覧会の展示のたびに付け外しするんじゃないでしょうね・・・?
(だとしたら展示した学芸員さんに敢闘賞差し上げたい。)
その隣には同じ紙という素材を使用しての対極のような小坂学氏の立体作品。こちらは素材『紙』というキャプションを見て、作品をしみじみ二度見します。「すべてのパーツを紙で創り上げる」という方法で再現されたスニーカーや、カメラ、時計など、素材の本来の色である、白一色で精緻に創り上げられた世界に不思議な感動を覚えました。

その先にあるのは、不思議な存在感を放つ三毛猫と犬。よく見ると金属製の細かなパーツによって構成された金属光沢をまとった三毛猫。吉田泰一郎氏の作品です。ひときわ大きくて目を引くのは金属で出来た花に覆われた『夜霧の犬』不思議な美しさです。
その隣でケースの中にある作品を観てびっくり。銀色の缶の中にびっしりと収められた金色に輝く・・・・・爪楊枝。本当に一本一本きちんと創り上げられた真鍮製の『爪楊枝』の驚き。そして同じく金属という素材で作られた、
『銀製 梱包材』(つまりいわゆるプチプチ)や、紙袋などの長谷川清吉しの金属工芸作品の「形の持つイメージの素材感」と、金属によってコピーされたそれらの存在の違和感。不思議な空気感のある作品です。

そのほかにも『東のナミカワ』こと濤川惣助と『西のナミカワ』こと並河靖之の競演や、金属工芸の雄、正阿弥勝義に海野勝珉、等など、盛りだくさんの贅沢な空間を抜けて最後、通路中央にて存在感を醸し出しているのは、
大竹亮峯氏の『月光』でしょう。こちらの作品はサボテンの仲間である月下美人の花を木彫と鹿の角などを素材として作り出された作品です。私が観覧した当日は満開の状態で観ることが出来ました。つまり、この作品、無生物である『彫刻作品』であるにもかかわらず、『咲く』のです。木彫で空洞になっている部分に水を注ぐと鹿の角で出来た白い花弁がゆっくりと開いていく。動画もありますので、そちらで是非、お確かめ下さい。

最後の部屋で待ち受けているのは前原冬樹氏のスルメ(木彫)や同じく大竹亮峯氏の木彫自在作品『眼鏡饅頭蟹』、本郷真也氏の金属打出し自在のカラス『Visible01 境界』など。最後の最後まで息をつかせぬ濃密な超絶技巧の数々。是非とも堪能して、人間の創作という業の深さに浸って頂きたいと思います。

今回の展覧会でも感じ、考えさせられるのが、タイトルにもあげましたが
『工芸作品』と、『現代アート』と呼ばれる作品群との境界線です。明治工芸というジャンルの作品群は、息をのむような凄まじい超絶技巧の数々をつぎ込んで創り上げられてはいるものの、それらが目的としているのはあくまでも『使用されること』。使い勝手などとは別の次元として、創り出した側はあくまでも茶道具や、花入、床飾りなどとしてでもともかく日常生活に根ざした『道具』としての工芸作品であること。そして、一方でそれら明治工芸の生み出した超絶技巧という潮流は現代の作家達に大きな影響を与え、そこから生み出された現代の超絶技巧作品群には、もはや『使用される』道具としての機能を排して、ただそこに『作品』として存在するようになりつつある。かといって作品のすべてが用途を失っていくのかというと、必ずしもすべてがその流れに飲み込まれているというわけでもない。
単なる言葉の表現上の違いと云ってしまえばそれまでなのかもしれませんがこれからの『現代アート』の世界の方向性を考える展覧会でもありました。

会期は4月9日まで、各地への巡回も予定されているようですので、お近くに巡回した際には是非ともご覧下さい。お奨めの展覧会です。

最後までお読み頂き、有り難うございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?