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82年生まれキムジヨン

本書についていくつか感想を書いてみたのだが、どうにもしっくりこない。
実の所、私にとってオンナはウザいものでしかない。愛想悪いしツンツンしてるし、何より人を顔しか見ないクソな存在である。彼女らの言う「良い人」というのはどうでも「良い人」都合の「良い人」でしかなく、まともに評価されたことなぞ一度もない。だから嫌いなのである。
またこの本についても数多の感想があるだろうし、――まあそれを読んでもいないのだが、女性の地位が低いとかガラスの天井とかそういう話が大半だと思う。

こういうのは、渋々自分の話を持ち出すべきなのかもしれない。
私の母は高度経済成長でぬくぬくと生きた。働いたのは僅か、専業主婦として子を育てた。私が覚えている数少ない姿は、小学校でのママさんバレーの姿だ。今は多分そんなもの、存在しないだろう。家庭は夫の浮気で崩壊した。彼はブスである事、料理が下手であることが不満だったらしい。その話を聞かされた際の、私の不愉快さはどれほどだっただろうか。今はどこで何をしてるのかすら、知らない。

本書の韓国での批判で目に付いたのは、いかにも今の女性の寄せ集め、というものだ。そもそもキム・ジヨンというのがそういう意味合いでもあるそうだ。日本で言うなら、――なんだろね、ありきたりな名前というのが今は存在するのかしら?
祖母の時代の韓国が統制経済で庶民が苦しかったこと、そこからも苦しい日々が続いたのをうっすらとではあるが知っている、日本による植民地支配、朝鮮戦争、朴正煕(パク・チョンヒ)の統制経済、IMF通貨危機など背景的に韓国はすさまじく苦労した国だと思う。日本は逆に朝鮮特需、経済成長といういわばモデル国として恵まれたのだと思う。彼女の母親らの教訓はなんだか身に染みるものがある。
「男は二人産まなくっちゃね」
こんなリアルでえげつない台詞もないだろうと思う。

この本に欺瞞的なモノを感じるのは、整形の話が出ない事だ。
韓国だけでなく、日本でもそういうことは一切公けには触れられもしないが、韓国は身近なお国としていち早く整形が流行したと思う。
キム・ジヨン氏は整形したのだろうか?

世界の男女平等で比較すると日本と同様に低いし、幸福度も同様に低いいわば似たもの同士だと思う。それは根強い儒教体質が古くからあって、女三界に家無し、三従七去なんて未だにある。
今、韓国は分からないが、日本は不況だ。高度経済成長でぬくぬくとしてた女性の姿なんてよほど恵まれた家庭に育った人しかいないだろう。景気が悪くなれば採用だって厳しくなって、まるで養鶏所のひよこのように、男ですらあらゆる面で選別され振り落とされ捨てられる時代に、意識だけは育った女性にとって更に厳しいのも事実だ。
性的な目で見られるのも、例えばおぞましいのはツイッターだ。そこにあるのは、性搾取で炎上するCMなどがトレンドになる一方で、エロ画像で溢れかえっているのだ。そこには見えない何かが起こっていて異常な軋轢と混乱を私は感じるのである。――まあルッキズムと見えない僅かな道徳観とか流行とかそんなものだと思うのだが、よくは分からない。

現代は複雑だというのは言い逃れに過ぎず、物事はシンプルだ。人権、女性の地位は明治時代に比べて向上したと思うしちょっとした世代間で感じるものはかなり変わったと思うのだが、例えば美人がそれを自覚せず人を傷つけるのと同様に、あまりにありふれ過ぎていてその僅かな変化に誰も感謝してないと思う。
そして逆に言うと、100年程度でこれくらいしか変わらないのだから、この本が提示する問題に終止符がうたれることは、数千年先にようやく見れる物だと思う。
人間が理性を持って行動し誰かを慮って行動してるなら犯罪やレイプはなくなっているはずだが、実際はそうではない。目の前のルッキズムすら否定も出来ない今の人間に、そんな壮大な事ができるはずがないのだ。
日本にもかつては廃娼論があった。リベラル(という安い言葉は使いたくないが)として運動もあったのである。もちろん、そんな話、今は誰も言わない。

確かに興味深く読んだが今一つ共感出来なかったのは、韓国の男性の反発にも窺い知れるものと同様かもしれない。所詮、生理の苦しみや出産なんて男には到底理解できないし、出来るはずもないのだ。
また強く思うのは、こうした本がある種の啓蒙になるとは信じたいのだが、例えば生理の貧困なんて恐らく10年以上前から言われていて、ようやく日本でもそれに乗っかり始めた、――それも渋々広告付けて行けそうなら、つまり商業的に乗っかるのならやっても良い、的な発想が根元にある気がするのを考えると、けっきょくのところ雇用が増えるわけでもなく、性の搾取が収まる気配すらない現状をなんとなく見ているので、なんだか単なるシュプレヒコール上げて「なんかやった気になってる」だけの消費ネタになってはいやしないか、と思うのだ。
欧米の近代に近づこうとすればするほど、反作用が生まれるだけで結局は何も良いことはないのではないかと思う。女性問題は、あくまで女性にしか成立し得ず、それゆえ諦めの風潮か3S政策か、教育制度によってか、色々な手法によって誰も考えないようにさせられている。私は、女性ほど頭の良い連中はいないと大真面目に思っている。SNSや記事程度で気勢を上げるのではなく、命を賭して「男社会をぶっ潰せ」なんて言って欲しい。なぜ公娼制度が廃止されたのか。是非考えて欲しいと思う。。。

また本質的な事として思うのは、哲学がないことである。
「女性の本質は献身である」というのがいる一方で、「すべての女は売春婦である」などというのもある。女性の哲学者がなぜ少ないのか、またいたとしても(というかお一人だけ知っているが40位で亡くなったと思う)世に出て来ないのか、という問題があると思う。この世のシステムの大半が男性を中心にできていると仮定するなら、それは哲学があるからである。だから男社会になってしまうのだ。違うだろうか。私の思う女性観は
「間近と遠方は見ているが、その中間は目に入らない」
である。目の前の事を細かく観察してるかと思うし、また――極端な言い方だが、母、生命の源という世代を超えた視点を同時にもちながら、どういうわけか真ん中がすっぽり抜けてる気がするのだ。
多分男性はギリギリ50年くらいは考えられる、そんな人間が数世紀に数人出現する。それが国家や法を作って世を成していく基盤となる。主義思想なんてものは分かりやすい例だと思う。そこにあるのはデカブリストの妻たちのような彼らを支援する女の姿が影のように見えるだけだ。
刹那的で享楽的な生き方も好みながら、何があっても未来を見るというタフさがあるように思える。私のような何も知らない男からでも余りに複雑すぎるのである。
こういう一過性の読み物ではなく、体型化し秩序立てて、なおかつ男と同じことをしない哲学が生まれるまで、この世は、未来永劫このままだと思う。

本書を利用して手前勝手な話をしてしまうのが悪い癖だが、ひとつ興味深いことがあった。

例のチキン屋である。
本書の母親もチキン屋をやって失敗しているが、映画パラサイトでもチキン屋をやって失敗してて韓国の流行りであるらしい、という言い方はしたくないが実際そうであるようだ。
日本でも脱サラしてラーメン屋、今はサラリーマンにすらならずとりあえず感覚でラーメン屋をやる人は相当いそうだが、同質だろう。


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