鴨肉のキャラメリゼ

私と夫は、食べることが好きだ。いろんなものをたくさん食べ、飲む。江國香織だったら「それですとかなりボリウムがございますが」と書き、佐々木倫子だったら「よく食べるねえ、足りた?」と言われて余計なお世話だとムカつくぐらい、大量に摂取する。

昨日、娘の言葉をきっかけに「寒いと寂しいは似ている」とTwitterに書いたが、実のところ「空腹と寂しいは似ている」と思っている。

12年前、私はうんと寂しくてうんとお腹が空いていた。胃下垂だから手足には肉がつきにくく、いつも人から「もっとちゃんとご飯食べなよ」とからかい半分で心配されて、それがとても不愉快だった。「意外とよく食べるね」と言われるのも鬱陶しかった。他人に私の寂しさについて云々言われるのが嫌だった。そういうときに知り合い、四六時中一緒にいて笑ったり喧嘩したりし、そのうち付き合ったのが夫だった。

夫はめちゃめちゃ美味しそうにご飯を食べる。マナーは良くない。とかく、飢えきった人間がやっと食事にありつけたようにわー!!!!と勢いよく食べ、合間に心底うっとりした顔で「ウマ〜!」と言い、米の一粒まできれいに食べきる。苦手なものはあっても「不味い」とは言わない。見ていて楽しくて、そのうえ、私の食べる量に驚かないし、私にもっと食えとせっつかないので、彼とはしょっちゅう食事をした。その度に一生分の酒を飲んだ。彼と食事をすると寂しくならない。食べ歩きや飲み歩きをすることも多く、自然と今まで一口も食べたことのなかったものを食べる機会も増えた。

夫の実家はかなり優しいお味の食事が主で、たとえば義父母はニンニクの強い香りを好まない。私の実家は、特に母が「食べたことのないもの」に対する拒否が強く、それが妹や弟にもうつり、彼らは未だに食べ慣れない珍しいものを食べるたび「臭い!」「不味い!」「よく食えるね!」と吐き捨てる。そういうものだと思って私も食べなかった。だから夫と私には、ドキドキするような未知の食べ物が、東京のその辺にある居酒屋にもたくさんあった。

そのうちの一つに、笹塚にあるスケッチという店で食べた「鴨肉のキャラメリゼ」がある。何せ給料日3日くらい前からはキャベツで食いつなぎ、給料日前日は「給料が入金されるまで呑み続ければ良い」と考えていた金無し学生達だったから、お店自体は決して高級店ではないが、トリキじゃないだけちょっと背伸びである。そこで夫(当時は彼氏)と二人で額を突き合わせ、メニューを覗き込み、飲み慣れないワインと片仮名のおつまみを注文する。食べたことのない、味の想像できない美味しいものを食べるのは、ワクワクするけれども怖くもある。だから大抵、一回の外食で一つか二つしか未知のものは頼まない。その時真剣に会議した結果が鴨肉のキャラメリゼだった。まず双方鴨肉をまともに食べたことがない。正確に言うと私はあったが、その時母が「臭い」と言ったのを聞いて「鴨肉は臭い」と刷り込まれており、忌避すべき食べ物だった。次にキャラメリゼがよくわからない。終いに肉に甘いソースを合わせるのが理解できない。それは食べ慣れた絶対に美味しい牛肉などと同じかそれ以上の値段がして、私達には大冒険だった。そして、その大冒険はバスコ・ダ・ガマのそれくらい良いものとなり、後の私達の食生活に大きく影響する。

鴨肉はしっとりしっかりみっちりとして、肉汁がギュッと蓄えられていて、噛むとしっかりとお肉の味!!!!がする。母の言っていたような臭みはなく、お肉です!!!!の味がする。田んぼを駆け回る鴨の姿まで直結はせずとも、生きていた味がする。これを、あらゆる本などで野生の味とか肉の旨味とか言っているのかもしれない。語彙の乏しい二人ではとにかく大興奮でお肉の味!!!!だった。キャラメリゼ(砂糖を加熱した際、糖分が酸化するときに起こる現象。砂糖自体の温度が165°Cを超えると特有の香気成分が生じる、とのこと)したソースが香ばしい甘さとほんのり苦味で鴨肉のお肉の味!!!!を優しく引き立てる。添えられているチーズリゾットには、正しく芯があり(正しいリゾットには美味しく芯が残るらしい)、それだけでも一生食べられるくらい美味しい。青年漫画だったら美味しさの衝撃で服は脱げていたと思う。二人で「おいしいね!」「すごい!」「鴨肉うまい!」「甘いの、あう!」と小学生のような感嘆の声をあげながら貪るように平らげたのを覚えている。帰り道にも酔っ払ってヘロヘロ歩きながらずっと鴨肉のキャラメリゼの話をした。はじめて出会った美味しいものに、大興奮だった。それはひどく楽しくて、不思議なくらい夫への好きを加速させる思い出になった。

それ目当てに、それ以降も何度かわざわざ笹塚に出向いてスケッチに通った。他のメニューももちろん美味しいが、毎回鴨肉のキャラメリゼは欠かせなかった。鴨肉自体が私達の好物の一つになり、お肉に甘いソースを合わせることの快楽を忘れられなくなった。

今はもう何年も行けていないけれど、調べたらコロナ禍を乗り越えてまだ営業しているようでホッとした。近いうちに行きたいと思っているお店の1つです。もちろんまだ娘には早いけれど、娘には色んなものを好きなだけ食べてほしい、と思う。私は心配性で、キャラメリゼにチャレンジすると必ず苦くなりすぎてしまうので、本当においしいキャラメリゼを早く食べさせてやりたい。美味しいものを好きな人と食べると、満ち足りた気持ちになるよ。そういうものなんだよ。娘が、例え私達とそういうのを感じることができなかったとしても、いつか咲く花の種になればいいと思いながら、今日もお夕飯を作るわけです。


おしまい


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