今夜、星を穿ちにいこう ①

 遠くから、祭囃子と笑い声が聞こえる。
 境内を照らす灯籠の炎が、赤く燃える火の粉を振り撒く。パチパチという音が鳴る。
 日頃喧騒とは程遠い僕の村にも、年に一度の夏祭りが行われるこの日には、それなりの賑わいが訪れる。神社の境内には様々な屋台が並んでいる。いか焼き、りんご飴、わたあめにフランクフルト。なけなしの小遣いを叩いて買った出店の食べ物を、僕とナナは両手いっぱいに抱えている。地面に落とさないように気をつけながら歩く。

「明、買い漏らしたものはない?」
「待って、ナナ。まだタコ焼き買ってないよ。えっと、かき氷はいらないよね」
「うん、冷たいのあんまり好きじゃないから。それじゃあ、タコ焼き売ってる屋台に行こう!確かこの先で梶夫が店を出しているはずだよ」

 そう言ってナナは夜道を駆ける。
水色の短パンからすらりと伸びた白い脚が、するすると人混みの間を通り抜けていく。ナナのぺしゃんこに潰れたスニーカーが、地面の上をパタパタとはためくように見える。
 僕はそんなナナを見失わないように、ナナより短い歩幅でバタバタと後ろを追いかける。
 黒いヘアゴムで一つに括られたナナの髪が、白いTシャツの背中で跳ねる。僕は何故だか、ひどく急かされているような気がして焦ってしまう。
 僕のことなんかはお構いなしに、ナナは自分のペースでサクサクと進んでいく。この世に生まれてから十五年、僕たちはいつもそうだった。ナナはどんどん先に行って、僕はそれを後から追いかけた。
 物心ついた時からそれは僕の役目だったし、同時に誇りでもあった。
 だから、この日ナナと二人で祭りに出かけることにも、それが前々から大人達に定められたスケジュールであることにも、何の疑問も抱かなかった。
 僕のジーンズの右ポケットには、シャープペンシルで文字を書き連ねたノートの切れ端が一枚入っている。
 「夏祭りまでにやっておきたいこと」と題したページに箇条書きで七行、僕とナナが話し合って決めた事柄が記してある。
 
 「夜に学校のプールで泳ぐ!」
 「坂本菓子店のスペシャルチーズケーキを1ホール大人食い」
 などなど。

 上から六行目までの文には、すでに文字の上から太い棒線が引っ張ってある。これは既に達成済みである、というしるしだ。残された最後の一文にはナナの字でこう記してある。

 「夏祭りに出ている屋台の好きな食べ物、ぜーんぶ食べる!」

 やりたいことリスト、の紙の裏にはズラーっと食べたいものリストが書いてある。十行以上も書いてある中で、特に食べたい物として赤ペンで丸をつけられているものがある。それが、梶夫さんの屋台で売っているたこ焼きだった。
 祭りの催しが行われる中央の舞台を円形に囲むようにして、いくつかの屋台が建てられている。梶夫さんのたこ焼き屋はその中にあった。
 舞台で行われる演舞を見るために集まった人々で、屋台の前も混雑している。売れ行きも好調らしく、頭にねじり鉢巻を巻いた梶夫さんは汗だくになってたこ焼きをひっくり返していた。
 今年三十歳になる梶夫さんは、村の青年団の団長を務めている。
 村の催し事の際には必ず最前線で参加しているので、村人のみんなの接する機会が多い人物だ。なので、年齢がちょうど半分くらいの僕もナナも梶夫さんとは親しい仲だった。

「カジ、たこ焼き買いに来たよ!」

「梶夫さん、こんばんは。お疲れ様です」

 残り少ない小遣いを握りしめて、梶夫さんに声をかける。

「おーう!いつもの二人組か。ちょいとばかし待ってな、とびきり美味いの作ってやるから!」

 そう言って梶夫さんはクレーターのように凹んだ鉄板にタネを流し込んでいく。細かく刻んだ紅生姜が混ぜ込んであるタネはほんのりとピンク色をしている。そこに大きめに切られたタコの足が軽快に投げ込まれる。

「さっすが、カジ!手際がいいね!」
「まぁ、ざっとこんなもんよ。何パックお買い上げかな?」
「じゃあ、『アカパチたこ焼き』を二パックください」
「あいよ!」

 梶夫さんは威勢良く応え、早速火の通ったたこ焼きをひっくり返していく。その手元を、ナナは懐かしそうに目を細めて見つめていた。僕はそんなナナの表情を見て、胸の奥が少しざわつくような感じがした。と同時に、ひとつ長年の疑問が腑に落ちた気がした。
 この村では、はるか空の彼方から飛来する紅緋色の八連短周期彗星、通称「アカパチ彗星」を観測することが出来る。「アカパチ彗星」はきっちり十五年ごとに飛来する。決まっていつも、夏の夜。七月の七日に。
 この夏祭りは彗星が訪れる周期に沿って開催された。毎年、どんな天候であっても祭の日程が変わる事は決して無かった。
 今年は過去に彗星が飛来してから十五年目、つまり「アカパチ彗星」がまたこの村で観測出来る年だ。梶夫さんのたこ焼きは、彗星を模して作られていた。紅生姜や大きめのタコを使って赤く装飾された夏祭りの名物「アカパチたこ焼き」は、味も良く村のみんなに愛されていた。

「梶夫さん、祭りの時にはいつもたこ焼きの屋台出していますよね。『アカパチたこ焼き』って、梶夫さんが考えて作ったんですか?」
「フフ、それはだな……」
「これはね、実は偶然の産物なんだよ。中学の調理実習でたこ焼きを作った時に、カジがたこ焼きの生地に紅生姜を瓶ごとひっくり返しちゃったの」

 弾んだ声でナナが答える。梶夫さんは不思議そうな顔で首を捻った。

「あれ、ナナちゃんは何でそれを知っているんだ?中学で同じクラスだったヤツぐらいしか知らない誕生エピソードなんだけどな……。あぁ、美咲あたりに聞いたのか?」

 美咲先生は僕らの学校の担任で、梶夫さんとは小さい頃からの幼馴染だという。きっと中学生の時も同じクラスだったのだろう。

「うん……まぁ、そんなとこっ!」

 そう答えるナナの言葉の端には、ほんの少しの陰りがある。僕はそれがある種の寂しさである事を知っている。いや、最近になってようやく知る事ができた。
 ナナが時折見せる、どこか大人びた表情のこと。夜になるといつも遠い目で空を眺めていること。ナナがずっと抱え込んでいた「何か」を、僕は昔から感じ取っていた。にも関わらず、その「何か」の正体はずっと分からなかった。
 今になって僕に出来る事なんてあるのだろうか。
 せいぜい、こうやってナナと一緒に祭を精一杯楽しむことぐらいだ。

「ほい、出来上がりだ。800円な」

 できたてホヤホヤのたこ焼きは、プラスチックのパック越しでもけっこう熱い。僕はポケットから財布を取り出して代金を支払い、あらかじめ用意してきたビニール袋にそれをもらって手首に下げた。
 
「お買い上げありがとうな。……お、演舞が始まったみたいだぞ」

 梶夫さんの言う通り、舞台の上ではちょうど奉納演舞が始まったところだった。白い衣装をまとった巫女が扇を手に携え、ゆっくりとした動作で曲線の軌跡を描いていく。舞台上に設置された八体の鬼の像。その頭部を扇で押さえ付けるようにして巫女は舞う。この村に昔から伝わる、鬼神調伏の伝説を模ったものだ。
 巫女装束を纏っているのは、同じクラスの千佳子だった。この夏祭りでは毎年、十五歳の女児がひとり選ばれて演舞を行うと決められている。白羽の矢が立ったのが千佳子だった。
 舞台上の千佳子はいつも教室で見る時とは違い、どこか神秘的な様子を漂わせていた。白粉と口紅のせいだろうか。しかし、表情を変えずに鬼神を沈めるその姿には、どこか無機質な印象もあった。

「明、いこっ!」

 舞台の前で呆けていた僕の手を掴み、ナナはずんずんと歩き始めた。強く引っ張られ、僕も慌ててそれに着いていく。
 肌で感じるナナの手の平は、少しヒンヤリとしていて心地良かった。僕は自分の手が汗で湿っていなかったかと少し不安になった。何しろ夏祭りの会場を、アツアツの食べ物を腕に抱えて駆けずり回ってきたのだ。当然汗まみれだし、年頃の女の子にとってそれに触れるのはあまり好ましくないことなのでは、と僕は思う。
 そんな僕の不安などお構いなしに、ナナは僕の手を強く握り続けた。僕は自分の胸の高鳴りを感じていたけれど、同時に前を歩くナナの無言の後ろ姿に言いようのない切なさも感じていた。
 ナナは祭りの演舞が嫌いだ。同じ学年の女子が必ず参加する演舞の練習会にも一度も参加したことがない。演舞の話をすることさえ、避けている様子だった。実際に舞台で舞う千佳子の姿を目の当たりにして、ナナは何を思ったのだろうか。砂利を踏むナナの足音が妙に近く聞こえる。強く握られた手の平が、ほんの少し震えているようにも思えた。

 神社の境内の裏、立ち入り禁止の看板が掲げられたロープをくぐり抜けて僕らは山道を登った。あまり整備されていないため、道の傍から枝や葉が飛び出してきている。僕らはそれを足や手で払いながら進んでいった。
 この先に、ナナの「秘密の場所」がある。僕達が掲げた「やりたいことリスト」の最後の一つ。「夏祭りに出ている屋台の好きな食べ物、ぜーんぶ食べる!」を達成するその場所に、ナナはここを選んだのだ。

「ほら、もうすぐだよ!」

 ナナの声に応えて、僕も足を踏み出す速度を上げる。頂上が近づくにつれて、頭上に覆い被さっていた木々が空へと開いていく。頭上に生い茂っていた木々に遮られていた星々の光が、徐々に辺りを照らしていく。夏の空の下、澄んだ空気を鼻から大きく吸い込むと土と草の匂いがした。山道を越えて木々のアーチを抜けた時、僕らはまるで星の中にいるようだった。

「ついたよ、明。村の端っこ。相変わらず、殺風景なところ」

 空には一面の星。さらにその奥に見える八連短周期彗星の赤い光と輝く月。
 僕の後ろには、今しがた登ってきた神社の裏山。その向こう側に僕達が暮らす村がある。
 そして僕の目の前には、まっさらな荒野が広がっていた。地平線の彼方まで建物ひとつありはしない。
 ありとあらゆる文明が食い尽くされた世界。
 人が暮らすことのできない世界。
 生命が続く事を許された八つの聖域。その外側。永遠の死の世界。
 見渡す限り赤褐色の大地は、何かに抉り取られたように起伏し、草木の一本も生えていない。いつ、何度見ても変わることのない時の止まった世界だ。

「さぁ、食べようか!」

 ナナは荒野の方を向いて地面に腰を下ろした。
 僕もその隣に座り、手首にかけていたビニール袋からイカ焼きを取り出してナナに渡した。

「それにしても、いっぱい買ったよねぇ」
「まぁ、最後だしね。残っちゃったら、明が家に持って帰ってよ。重明もこういう食べ物好きだったでしょ?」

 重明というのは、僕の父さんの名前だ。ビニール袋から取り出したイカ焼きに頭からかぶりつきながら、僕は父さんと交わした会話を思い出していた。


つづく

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