見出し画像

Richard SinclairとFender Jazz (その2)

前回は、初期Caravanに在籍していた時のRichard Sinclairの話で終わってしまったので、今回は、Hatfield and the North期のRichardを追ってみたい。


1973年: 
Hatfield and the North featuring Robert Wyatt “God Song”, ”Fol de Rol”, “For Robert”, “A-Mewsing”

1973年1月、フランスのTV番組にRobert Wyattと共演した時の映像。Robertが下半身不随になったのは同年6月のパーティでの転落事故と言われているので、それより前で、立ったRobertが映っている貴重な映像でもある。Robert Wyattは、事故後車椅子の歌手として復帰し、様々な名作を発表してはいるものの、もしRobertが事故に遭わずドラマーとして活動し続けていたらその後の彼の音楽活動はどうなっていたのだろうと思いを馳せずにいられない。

ちなみに、上記の映像ではカットされているが、演奏の前に、Robertが司会者からの質問にフランス語で受け答えしている映像も残っている。その間、Hatfield and the Northのメンバーは何も発言していないので、番組の出だしはむしろ逆にRobert Wyatt featuring Hatfield and the Northな感もする。フランス語を話せるかどうかもあったのかもしれないが、Hatfield and the Northはまだレコードデビュー前の無名なので、質問がRobertに向かうのも宜なるかなである。

Hatfield and the Northは1972年に結成されたが、初代キーボード奏者のSteve Miller(Richardと一緒にCaravanを脱退)はすぐに脱退し、後任としてRichardと共にCaravanの創設メンバーだった従弟のDave Sinclairが短期間加入するものの、数ヶ月で去ってしまいCaravanに復帰する。その後釜としてDave Stewartが加わり、ようやくメンバーが固定するのだが、ここでのライブは、ファーストアルバム録音前にDave Sinclairが在籍していた時のHatfield and the Northのライブ演奏という意味でも希少である。

なお、ここでの4曲は、昨2020年に発売されたLive 1973というCDにも収録されている。ただし、このCDのライナーノートを見ても、キーボードがDave Sinclairであるという説明がきちんとされていなく、日本版CDの帯ではDave Stewartがキーボードであるかのような記載がされている。このCD の5〜6曲目は、同年9月に収録されたパリでの演奏で、ここではDave Stewartがキーボードを弾いているものの、CDのライナーではこの2つの演奏でメンバーが違うことへの言及がなく、6曲全てDave Stewartが弾いているように読めてしまうので、記載を直してもらいたいところである。

しかも、この2つのライブ演奏だけではCDとして尺が足りないと思ったのか、最後に3曲、EggによるBBCのライブ演奏がボーナストラックとして加わっている。EggもHatfield and the NorthもDave Stewartが在籍したバンドで客層はほぼ重なるため、ボーナストラックに入れて貰うのは有り難いのだが、ライナーノートはネットから拾ってきたと思わしきHatfield and the NorthとEggの説明をコピペしてきただけのようで、ここでの演奏の解説になってないし、しかもボーナストラックのEggの説明の方が文字数が多いしで、やっつけ感満載のラーナーノートである。日本版のCDには、このライナーの和訳を付しているのだが、そもそも原文が、グループの一般的な紹介をしたネット情報の転記だし、しかも原稿のコピペが残ってしまったのだろうか、末尾の<Album Notes>は、このアルバムではなく、同時期にCDリリースしたと思われる、GongのLive in Germany 1974の解説が間違って入っている。ダウンロード版でなくCDを買うメリットの1つはライナーノートの解説で新たな情報を得ることなのに、ナメくさったライナーノートとしか言いようがない。

画像1

話をパリでのスタジオライブに戻すと、ここでの映像は20分弱で、4曲のメドレーで構成されている。1曲目はRobert Wyatt作のGod Song。Matching MoleのセカンドアルバムLittle Red Recordに収録されていた曲で、元はRobertが歌っていたが、ここではリードボーカルはRichardが取り、Robertがコーラスとして入っている。この2人が一緒に歌う映像を見られるだけで、「ありがとうございます」である。上の写真の右隅に映っているのはDave Sinclair。わずかながらD. Sinclairが正面から映っている映像もあり、いくら両Daveとも眼鏡を掛けたキーボード奏者とはいえ、上記のCDのライナーを書いた人が、事前にこのライブ映像を見ていたとして、それでもD. Stewartと区別がつかなかったとしたらモグリ以下だろう。

画像2

Richardのベースは、Waterloo Lily期のライブと同じFender Jazzと思われる。以降、少なくとも1970年代後半のCamel在籍時まで同じベースを使い続けていたようだが、時期によって少しずつ手が加わっており、「使い倒した」愛器だったことが、各期の映像を見ることでわかる。

2曲目は、RichardとRobertの共作Fol de Rol。後に録音されるHatfield and the NorthのファーストアルバムでもB面1曲目で収録されている他、後年Robertもソロ活動の中でこの曲を歌っている。ここでは、アルバム収録曲と同様、歌パート(といっても歌詞はない)に続き、Richardのベースソロが入るが、スローテンポのバッキングに乗せて、ベースギターの音域を目一杯使ったソロは、彼の名演の1つに挙げられるだろう。

3曲目のFor Robertはアルバムに収録されていないものの、ここでの後半のジャムセッションを改変し、別途Richardが用意していたRifferama(本稿第1回で紹介した、Waterloo Lily期のライブの冒頭にて演奏されるのを参照)と統合されたのではないか(Rifferamaは、Hatfield and the NorthのファーストアルバムA面最後の曲として収録されている)と推察される。

最後は、Dave SinclairによるA-Mewsing。4コード8小節のサイクルを繰り返すシンプルな曲だが、これはHatfield and the North向けの曲というよりむしろ、Robert Wyattが歌うことを前提に用意した曲だろう(歌といっても歌詞はなく、アドリブでアウアウと叫ぶ曲だが)。Matching Moleが解散せずかつDaveがバンドに残っていたら、この曲が採用されていたかもしれない。Robertは約8分間の曲のうち、最後の1分間を除きアウアウと叫び続けるが、前半の伴奏はDaveのオルガンとRichardのコーラスのみで静かに始まり、途中からRichardのベース、Phil Millerのギター、Pip Pyleのドラムが順に入ってきて、同じリフを繰り返しつつも曲は徐々にテンションを上げていく。


1973年: 
Hatfield and the North “Oh, Len’s Nature”, “Big Jobs No.2”, “Going Up to People and Tinking”, “Lobster In Cleavage Probe”, “Gigantic Land Crabs In Earth Takeover Bid”

1973年9月、同じくフランスでのスタジオライブ。ここでは5曲をメドレーで演奏しているが、1曲目の”Oh, Len’s Nature”以外は、Hatfield and the Northのファーストアルバム(セルフタイトル)に収録されている。Oh, Len’s Natureは、Matching Moleの2枚目Little Red Recordの収録曲であるNan True’s Holeを改題したもので(この2つの曲名はアナグラムになっている)、Hatfieldのオリジナルアルバムには収録されていないものの、ライブではよく演奏していたようである。

後の4曲は、ファーストアルバム録音開始(1973年10月〜1974年1月)より前の演奏だが、各曲の演奏は既にこの時点でほぼ完成していることに驚かされる。1973年初頭にキーボードが最終的にDave Stewartで落ち着きメンバーは固まったものの、レコーディングの機会に恵まれなかった半年強、4人で曲を作り込んでいたのかもしれない。各曲について詳述したいところだが、それだけで延々と書いてしまいそうなので、また別の機会に譲ることとする。

画像3

Richardは引き続き同じFender Jazzを弾いていると思われ、特に大きな変化はない。右手に半分隠れている、タモリ倶楽部にも少し似た白い模様が目を引くが、Hatfield and the Northのロゴである。バンド結成時に、たまたまロンドン市内で見かけた道路案内標識にHatfield及びThe Northという行き先が記載されていたので、その2つの地名を組み合わせたHatfield and the Northをバンド名とし、その道路標識に描かれていた環状ジャンクション道路の図柄をバンドのロゴとしたという経緯はファンの間では知られているエピソードである。そんなロゴをベース本体の目立つ場所に貼るあたりに、Richardのバンドへの愛が感じられる。

画像7

解散後の1980年にリリースされた、コンピレーションアルバムAftersのジャケ裏面。ここでの道路標識は明らかに合成したものだが、ともあれ、このような形状の環状道路とHatfield及びThe Northの地名が書かれた道路案内を見つけたというのがきっかけだったのだろう。なお、Hatfield and the Northヲタの間では、HatfieldとThe Northの行き先が書かれた道路標識を探しに、ロンドン市内からA1道路方面を探索するという聖地巡礼もあったりもする。私もそこまで真剣に探していた訳ではなかったのだが、1990年代にロンドンを旅行中、それっぽい道路案内を見つけた時は思わずタクシーを止めさせて車を出て撮影してしまった。
RichardとHatfield and the Northのロゴに関しては、次回また別のエピソードも紹介したい。

画像4

なお、Hatfield and the Northが1975年に解散し、2年後の1977年にCamelに加入するまでの間、Richardの音楽活動ははローキーだったが、時折ステージに上がった時は、Sinclair and the Southというバンド名を名乗っていたようである。この辺の安直なネーミングも、いかにも彼らしい。


1975年: 
Hatfield and the North “Halfway Between Heaven and Earth”, “The Yes No Interlude”, “Fitter Stoke Has A Bath”, “Didn't Matter Anyway” 

1975年、Rainbow Theaterでのライブ演奏。4曲をメドレーで演奏しているが、1曲目のHalfway Between Heaven and Earthを除き、Hatfield and the NorthのセカンドアルバムThe Rotters’ Clubからの収録曲である。Richard作のHalfway Between Heaven and Earthは、The Rotter’s Clubには収録されなかったものの、当時のライブの定番曲で、解散後の1980年にリリースされたコンピレーション盤Aftersにライブ演奏が収録されていたり、1990年の再結成ライブで演奏されていたり、Richardのソロライブでもよく歌われていた曲の1つである。その他の曲の説明についてはまた別の機会としたい。

画像5

この2年間で頭頂部が更に進行し(当時27歳)、もはや若ハゲを隠しきれなくなってきた感じもするが、それはさておくこととする。このビデオの画質が悪く、また光の影響でRichardのベースが赤っぽく見えるが、恐らく前と同じFender Jazzを弾いていると思われる。ただし、ベースのピックアップ部分が変わっており、改造を施されたことが確認できる。

これまで使っていたFender Jazzのピックアップは標準仕様で、シングルコイルタイプがフロントとリアの2個付けられているが、ここではこの2個が外され、その中間部分をくり抜いてハムバッキングタイプと思われるピックアップを取り付けている。上の写真だけだと、そういう仕様のベースを使っているようにも見えるが、実際には、元の2つのピックアップを外した箇所に埋め物をしていたようで、次の写真の通り、光線の反射次第で、くり抜いた後が明確に映っている。2年前の映像と同じベースだとすると、以前に付けていたHatfield and the Northのロゴは剥がれて取れてしまったのだろう。

画像6

わざわざ位置まで変えてピックアップを付け替えたということは、音色の好みとかがあってのものと思われる。言われてみればそうかな、程度ではあるが、The Rotters’ ClubでのRichardのベースの音は、前作に比べて丸みを帯びている感じもするので、ピックアップを換装した影響にもよるのかもしれない。その後、このベースをフレットレスに改造し、以降フレットレスベースを弾き続けていることから推察するに、この時期以降、丸みを帯びたソフトなベース音をRichardが嗜好するようになったと考えられる。

第2回はここまでとし、続きはまた次稿にて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?