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Richard SinclairとFender Jazz (その4)

Camel在籍時に、RichardはRain Dances(1977年)とBreathless(1978年)の2枚のスタジオ録音に参加し、それぞれのアルバムのリリース後にツアーも行っている。今回は、Breathlessリリース後のRichard(1978年9月〜1979年2月)を追ってみたい。

バンドにとっての大きな変化として、Camel結成以来、Andrew Latimer (g, vo)と双頭を張ってきたPeter Bardens (key, vo)が、Breathlessの録音後に脱退したことが挙げられる。これで、Camelのオリジナルメンバー4人のうち半分がバンドを去り、以降、名実共にLatimerのワンマンバンドへと移行していく。

ともあれ、ツアー開始に向けてBardensが抜けた後任のキーボードが必要となったので、Dave SinclairとJan Schelhaasの2名が呼ばれ、CamelのBreathlessツアーは、Andrew Latimer (g, vo)、Mel Collins (Sax)、Richard Sinclair (b, vo)、Dave Sinclair (key)、Jan Schelhaas (key)、Andy Ward (dr)の6人体制で行われた。1979年1月には初来日も果たしている。Dave、Janの両名とも時期は違えどCaravanに在籍しており、Richardの推薦で呼ばれたのだろう。この2人は、ツアーに先立つBreathlessのスタジオ録音でも、一部Bardensの代わりに弾いている。

ここで、Bardensの後釜としてキーボード奏者を2名入れたところが興味深い。初期のCamelは、LatimerのギターとBardensのオルガンがバリバリと弾き合うブルースロックのスタイルだったが、シンセも使った多重録音にてバックグラウンドの音を厚くする作風に移行するにつれ(人によってはこれをシンフォニックプログレと呼ぶのかもしれないが)、ライブでBardensが1人で弾くとなると、多重録音での演奏ををかなり端折らなければならず、スカスカ感が出ていたのは否めなかった。そこで、キーボードを2名に増強し、原曲通りのパートをどこかしら弾く担当(Jan)と、原曲にとらわれずある程度好き勝手弾いていい担当(Dave)とで分業させることで、原曲の曲調は大きく崩さず、かつメンバー変更による新たなテイストを加えることができるという狙いもあったのだろう。

Latimerは「このパートのキーボードは絶対に原曲通り弾いて貰わないと許さない」というおこだわりが強そうだし、他方でDaveは前任者と同じように弾けと言われてイエッサーと従うタイプではなさそうなので、相対的にDaveよりは自己主張しなさそうなJanが「原曲通り」のパートの大半を引き取る形になったのだろう。なお、例外的にRainbow’s EndでのピアノはDaveが原曲通りのパートを担当しているが、そりゃそうだ、Breathless収録のこの曲、スタジオ録音もDaveがピアノを弾いていた。

Richardファンとしての偏見が入っているのは承知の上だが、この時期はCamel史上最強のメンバー構成だったと個人的には思っている。にもかかわらず、この時期のライブ映像は疎か正規のライブ録音も残っていないのが残念である。いくつかのコンサート演奏は海賊版で出回っており、Amazonとかで普通にCDが買えるものもあるが、音質は概して悪く、曲が間引かれていたり途中で切れたりしている。

ということで、この時期にRichardがベースを弾いている写真も少ないため、断片的な情報を組み合わせていくことにする。まずは、Breathlessのジャケット写真(CD版での裏ジャケ)。オリジナルのLPでは、内ジャケに5人の写真が掲載されていたようだが、CD再発版では裏表紙にこの写真が移されている。この写真でのRichardは、1977年ライブと同じFender Jazzを持っているようで、中央の凹んだ箇所には詰め物らしきものをしている。すだれ髪を諦めて吹っ切れた笑顔が清々しい。

次いで、1978年のコンサート写真と思わしきCamelのポスター。閉店間際の中古レコード屋からタダで貰ったものだが、元は、Breathlessの日本版LPに同梱されていたものとのことである。翌1979年1月に日本公演が予定されていたため、その宣伝も兼ねての6人メンバーを紹介するために用意されたと考えられる。コンサートプロモーションを考えると、アルバムには参加していたけど去ってしまったBardensにはもはや用はないということだろう。Latimerのギターから放たれる十字の光線に、「俺がバンマスだ」という強いアピールが感じ取れる。

ポスター中央上部の、各メンバー写真のアップを再掲する。Latimerの陶酔顔が気になるのはさておき、Richardがこれまでの改造Fender Jazzとは違うベースを弾いていることがわかる。本体の木目がツートーンになっている他、ピックアップがスプリット・シングルコイル(1・2弦と3・4弦とでピックアップの位置がずれている)になっている。Fender Jazzベースはスプリット・シングルコイルを標準装備していなく、Fender Precisionの仕様のようにも見える。Fender JazzとFender Precisionを見分ける大きなポイントは本体の形状で、Precision型は本体底部がブリッジと平行になっているのに対し、Jazz型は斜めになっている(前回紹介した、Never Let Goの演奏でのAndy Wardと写っている画像が分かり易い)。

ここで使っているのがPrecisionなのか、それともFender JazzにPrecisionタイプのピックアップを付けた特注品なのか、これだけだと断定しがたいが、敢えて判定するならば後者、つまりFender Jazzを元にしているように見える。なお、通常のPrecisionはピックアップが中央のスプリット・シングルコイル1つだけなのだが、Richardが弾いているベースではもう1つリア・ピックアップが付いていて2つあるので、仮にこれがPrecisionだとした場合、標準のPrecisionではなく、2ピックアップのDeluxe Precisionモデルということになる、ただ、フロントとリアのピックアップの色が違うというのは標準品ではありえないので、いずれにせよ何らかの改造はしているのだろう。

もう1つ、1978年の演奏と思われる写真。ここでも先のポスターと同じ木目ツートーンのベースを弾いている。手前に立てかけてあるのは、長年連れ添った改造Fender Jazzだろうか。これが邪魔していて分かりづらいが、Jazz型の形状に見える。この他にも、同じツートーン柄を弾いている同時期と思わしき白黒写真を見つけたのだが、写真販売サイトのもので無断転載禁止の注意書きがあったのでここにアップするのは控える。その写真にてネックにFenderロゴが付いていることは確認できたので、恐らく新たなFender Jazzを入手し、フロントピックアップをスプリット・シングルコイルに換えたのではないかと推察される。

写真だけだと物足りないので、最後に、映像はないものの比較的音質が良く、一部カットされているもののコンサート全曲にかなり近い音源が残っているものとして、1979年2月の米国San Joseでの公演を紹介したい。元の音源は海賊版かもしれないものの、これと同内容を収録したCDが現在Amazon等で市販されている。この6人編成によるツアーの最後に近いライブでもあり、Richardの自己主張も微妙に見え隠れするところが面白い。


1979年: Camel, Live in San Jose, CA

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個人的に一番ツボだった曲はRhayader(36’20”〜)である。Latimerのフルートによるイントロは原曲通りで(当時のライブでは通常Mel Collinsとフルート二重奏だったはずだが、録音が悪いのか、ここではMelのフルートはよく聞こえない)、その後にDave Sinclairによるオルガンソロが始まる。ここでJan Schelhaasがエレピでバッキング、Daveがソロと分業することで、Bardensがライブでは1人で弾いていた時よりも演奏に厚みが出ており、ツインキーボードにした効果が出ている。

それはさておき何がツボだったかというと、Bardens在籍時のライブではこの曲のオルガンソロはほぼ原曲通りの旋律だったのに対し、Daveのソロは原曲を忘れさせるようなカンタベリー色に塗り替えられていることである。しかもそこにRichardのベースがぐいぐい絡むと、ここで広がる世界はもはやSnow Gooseではなく、Land of Grey and Pink(Caravanのサードアルバム)である。Rhayaderかと思いきや、Winter Wineに乗っ取られていたでござるの巻。しかも原曲のソロ(4小節×8サイクル)より長く14サイクル弾いており、Caravanは好きだがCamelは今イチという人も思わずにっこりのサービスタイムである。

そしてここでも、大トリ手前はNever Let Goである(1:01’17”〜)。Latimerのギターイントロに続いてRichardが歌う部分は1977年のライブ演奏と大きな変化はない。次のDave Sinclairによるシンセのソロは、Bardensが弾いていたものとは全然異なっており、カンタベリーファンにとってはお楽しみタイムである。

その後のRichardのベースソロで、「あれ?」とさせられる。1977年のライブでは(2バージョンとも)、曲の旋律を受け継ぐ形でソロを組み立てていたものの、それを何度も繰り返して飽きてきたのだろうか、ここでのソロ演奏は、如何にして元の旋律と関係ない旋律を弾くかに腐心しているかのようである。たまたまこの日だけでなく、1978〜1979年のツアーの他のコンサートを聴いても、Richardは敢えて1977年のツアーと同じようなベースソロは弾かないという態度を取っていることがわかる。1978年11月の仏Bordeauxでのコンサートにおけるこの曲のベースソロパートでは、さりげなくHatfield and the NorthのOh, Len’s Natureのリフを挿入したりもしていて、Camel愛のLatimerに喧嘩を売っているかのようである。

結局、1979年2月にツアーが終わった後、DaveとRichardのSinclair従兄弟はCamelを去ってしまう。Daveは元々このツアーまでという契約だったようだが、Richardに関しては、Latimerから「出て行ってくれないか」と要請されたとも言われている。Richardも、Latimer率いるバンドの1メンバーという立場では飽き足らなかっただろうし、両者望む形で円満に別れたということかもしれない。

次回(最終回)は、1980年代以降のRichardを追うことにしたい。


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