見出し画像

釜山の弟 「2018年11月12日~11月15日」

釜山に着いて、ローカル線のバスで中心地を目指した
バスの車窓から、釜山を眺めていた
二ヵ所ほど雰囲気の良い場所があり、グーグルマップにピンをたてた
後日、地下鉄でその場所に向かった
下端駅と言うのが最寄であり近辺を散策した
細長いいい感じのマーケットがあり、そこでミルミョンを食べた
マッコリのやかんとコップも購入した
雑多な下端は、なんとなく夜の街のイメージがあり、昼間に出向いた為、中心地に戻って行った
2年前にピカスペースにリーと言う韓国人が、足蹴に通う様になった
リーはびっくりする位に日本語が流暢で、返しも素晴らしく
良く一緒に遊んだり、クラブにいったり、飲んだり、深夜食堂を見たりとかなりの時間を共にしていた
彼女が来たときは、もてなし
韓国の知人&友人を良くピカスペースに連れて来てくれた。
「兄さん、兄さん」と呼ばれていた為、弟の様に思えてきた。
ある時、もしかしたら釜山に帰らなければいけないと言い残し
いきなりいなくなってしまった
かなり寂しかったのを覚えている。
リーは、釜山在住と言う事もあり今回会える段取りをしていた
リーとの待ち会わせは、最初、南浦洞だったが珍しい海産物を食べさせてくれると言われ、下端駅に来るように言われた
うなぎの様な食べ物だった
おいしかった
「あっここは、朝、来た場所だ」
下端は、リーの地元だった
車窓から、気になる所は、リーの地元
笑っちゃった
やはり昼間散策した場所は、夜の街だった
3軒目、リー行きつけの韓国のBARにいった
韓国のBARは、かなりおもしろいので詳細は、ふせておく
気になる方は、行ってみて
そこで、リーの友人が英語を話せる事もあり合流した
ウーと言う
こいつもかなりの腕前だった
下端駅の安い飲み屋で飲んでいた
隣の若者たちとも仲良くなり、何度も何度もマッコリの杯を重ねた
マッコリ文化素晴らしい
「兄ちゃん、今日泊まっていってください」
「兄ちゃん、今日泊まっていってください」
何度も何度もリーに言われた
「お父さんが何度もそう言うから」
リーには、何度も何度もお父さんから電話がかかってきた
何度も断り、また来た時に改めて、挨拶に行くので今日は、帰りますと伝えてと20回以上言ったと思う
4軒目の店は、ローカルな感じとマッコリの酔いもあり、かなり盛り上がっていた
リーは、大阪から強制的に帰らなければいけなかったらしい
お父さんが来て、そのまま釜山に帰国した
料理の学校をでて(日本)そのまま料理人として、日本で仕事をしていたが、見切りをお父さんにつけられ、そのまま釜山へ
その後、料理の会社に勤めるもお父さんに促され、数か月前から公務員の契約社員をしている(リーのお父さんは公務員)
「兄ちゃんの自由な所が、うらやましいと何度も言われた」
韓国でもリー見たいなケースは、珍しいとウーが言った。
釜山に初めて来て、釜山は都会だった
そこに屋台が混ざり合い、私の好きな世界観だった
少しだけ違和感があった、語弊があるかもしれないが全員が金太郎飴見たいだった
ローカルな店で盛り上がっていたら、リーのお父さんが登場した
かなり酔っている様に思えた
何度も何度も日本の時にお世話になったと感謝された
リーは苦笑いだった
「さーこれから家に泊まりましょう」とリーのお父さんに言われた
何度も何度も言われた
中々、パンチラインの塊の様なお父さんだった
【絶対にひかない】
成程これは、リーは大変だなと思った
それから小洒落た店で飲みなおし
リー達と別れた
「兄ちゃん、自由になりたいよ」そう言い残して
帰りのタクシーの中で、「はるき、リーのはるきの呼び方が、兄さんから兄ちゃんに変わったね」と言われた
「兄ちゃんか」
私は、どちらかと言えば自由に思う様に生きている
その道中もなかなかである
自由をはきちがえて外に外に答えを求めた若かりし時
その自由にも様々な事がある
私は、若かりし時の自分を否定などしない
その上に今の生活があり、今の価値観があり、今の登場人物達がいる
「リージタバタ足掻け」
そう思った
久しぶりに自由について考えたがその自分自身の答えが正しいとは、思わない
様々でいいんじゃないだろうか
自由とは
釜山の弟のリーは、わたしが今まで出会った人達で三本の指に入る素晴らしい笑顔をする
大好きな笑顔だ
リーは釜山にいる。
釜山に行くのは、安い
釜山に行く事があるなら
私の弟に会ってみてくれ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?