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西成ガギグゲゴ【炭鉱ノスタルジア】

だいぶ昔に「のぞき屋」と言う漫画を読んだ
内容が面白かった
その作家さんが「ホムンクルス」と言う漫画も書いていて途中まで読んだ記憶がある
確かホームレスになった主人公が頭蓋骨に穴をあけて、第六感を開く見たいな感じだった
生れて間もない時の子供は、その頭蓋骨部分が塞がっていなくてかなり多感だと言う
わたしは前歯を一本抜いている最中そんな記憶と戯れていた
30年近く一緒にいたのに失うことはかなりの喪失感がある
前歯が無くなると非常に食べづらくなる
滑舌も変になる
第六感が開いたような感覚は無い
西成の労働者の友人達を見て見ると、みな歯がガタガタである。
前歯が無いのも結構当たり前である
それを見る度に、歯をおろそかにしてはいけない
何か大事なラインを越えてしまう様に思っていた
わたしはそこを越えてしまった
大阪に来て8年目になる
初年度は西成が面白くて、労働したり買い物したり飲みに行ったりと1日の大半を西成で過ごしていた
あの時の記憶がよみがえる
数年前まで新世界に来て年の瀬に、毎年恒例にしていた事があった。
西成ガギグゲゴに向かう。
※西成の日雇い労働の事
朝5:30。
いつもの弁当屋の路地に車が止まっている
「おはようございます」
まだ暗い空と車内の人間のフォルムが、なんとも言えないコントラストを醸し出してる。
「今日もドカタね」
カタコトなら、もっとグっとくるのだが残念だ。
車内にいた何人かは、車内を離れ、散り散りに自分のドカタへ向かう。
わたしはそのまま車に揺られ、いつものなか卯で朝飯を馳走になり、途中でコンビニに寄り、セブンイレブンのコーヒーまで馳走になる。
同じ人夫出しの人だと、お互いに信頼関係も築いていける。
人は優しいのだ。
ドカタに入るストレスは無い
ドカタが集合する駐車場に向かう
何台も何台も車が駐車場に現れ、バタバタして消えて行く。
ヘルメットと長靴を手にして、手配された車に乗り込み現場へ向かう。
だいたい現場につくと穴を掘るか、斫るの繰り返し、水道管か電線の埋まっている配管を探す。 
深い所では160cm位掘る。
重機などの入れない所は、人力で掘る
その要員が私たちだ。
これを「ドカタ」と言う。
深さ160cmの穴を掘るのにだいたい6時間位かかる
なかなかきつい仕事の方だと私は思う。
チッパー、ハンマードリル、ヒルティなどの電動工具で穴を掘って行く、かなりの騒音と粉塵をまきあげていく
ちょっとだけ、もっていかれそうになるが問題ない
最後は、スコップで仕上げる
正確にはわからないが、スコップは一家に1本は、あるんじゃないだろうか
出番待ちで、いつもは軒下などに立てられ、雨ざらしにされ少しずつ劣化して行く。
出番といってもたまにだろう。
出番は、穴掘りがメインじゃないだろうか
個人的にスコップは、かなり好きな道具の一つだ。
いつの時代からスコップが誕生したかわからないが、穴を掘る行為はたいして変わってないはず、その為の存在 
160cm位掘られた穴は存在感を示していた
わたしはその穴に全身をおさめて見た
土っぽい胎内を喚起させた
わたしは20代後半に2年間山籠りの陶芸三昧生活をしていた。
あの生活は完全に隠者だった
ひたすらに土を捏ねてろくろを回し、器なる者を作り続けた
その反復の中で器が出来上がり、やはり器の中心は穴だった
わたしは、小さな穴を自分で成形して見続けていたんだろうか
2年間の反復陶芸は技術を向上させていた
そこで20代最後に陶芸と共に折り合いと言う世界を学んだ
陶芸の世界はいったん蓋をする事にした
然るべき時に開ける事になると思ったからだ
わたしは俗世を求め下山した
程なくして東日本大震災で地元が被災
1年間沿岸パトロールをしながら震災につかない折り合いをつけていった
そこから大阪に移住
隠者の自然生活から、被災地での復興生活、そこから日本のゲットー西成へとアンバランスな道を辿ってきた
大阪の生活は店を開業した事もあり、人、人、人ばかりだった
もう店と言う器から溢れていた
人間交差点とは良く言ったもんだ
どこか気晴らし感覚で行っていた西成の肉体労働
誰も知り合いなどいない現場の人間関係にどこか安堵していた
現場での穴掘り作業で、土と穴がここでまた巡りあった事で本流から支流が生まれる
穴の世界に興味を持ち、すぐに鳥取県の石見銀山の龍源寺間歩に行ってみた。
人力で掘っていったらしい
圧巻で完璧だった。
近くにある温泉津温泉も、世界観、湯の塩梅ともに素晴らしい。
どちらも興味があるなら、非常にオススメである。
元々、旅行が好きなのも相まってその地に炭鉱があるならそこに行く事になった
これは5年程前からである
熊本県 三池炭鉱 万田坑跡
福井県 面谷鉱山跡
飛騨高山 神岡鉱山 etc
炭鉱関係の書籍も読むようになった
炭鉱を調べるとダムの世界にはいっていった
炭鉱の世界は隆盛時期を迎えそこから石炭から石油になり、完全に衰退していった
炭鉱で隆盛を迎えた場所は、わたしがそこに訪れた限りどんよりした【ナニカ】を町全体がまとっている様で、非常にソソル世界観である
それはダムの世界の場合もそう感じる
二つには類似点が多々あり調べている
黄金期があり衰退するこれは色々な事に重なるケースがおおいい
わたしの営業しているイマジネーションピカスペースと言う飲み屋兼イベントスペースは、新世界市場と言う商店街の中にある
大阪きっての観光地、通天閣のお膝元新世界が該当してるにもかかわらず、見事なシャッター商店街である
やはり黄金期からの衰退期を迎えて、完全に仕上がっている世界観が気にいってこの地に開業した
どこか衰退した世界に感じる【ナニカ】と言う郷愁感的なものに惹かれるのだろう
それは、炭鉱などもそうなのだろうと感じている
それと今になって思うと誰も知り合いがいなかったと言う点も、自分にとって常に求めている世界なのだろうと思う
黄金期から衰退期そして黎明期へと新世界市場も移行している
それはここに移住して生活している8年間の日々で、まざまざと感じている
ピカスペースが器になり、ゼロからイチへ
『時は来た』とはっきり確信している
盤上が出来上がり、どう攻めるかと言う世界になってくる
人、人、人の坩堝の8年間、人材は溢れんばかりである
面子もふるいにかけて、吟味して、さぁ如何なる花を咲かせようか
同時に仕上がって行く8年間の中に喪失感が芽生えている
それはこの地が持っていた郷愁世界であり、何とも自分自身が矛盾している事に気づく
やはり移動型の人間なのか
その問いがぼんやりと浮かぶ
満たされないのをうめる為に、旅をする度に郷愁する場所と炭鉱の世界を巡っているのかもしれない
この矛盾を所有しながら、進んでみたい
欲張りなのかもうひとつの場所
誰も知らない世界でのゼロイチを何処かで求めている
2年間、隠者の生活をしていた時を懐かしんでいる
鳥達はなんの警戒も無く、わたしの肩の上にとまりなどしなかった
雨が降ると沢ガニが大量に家の中に押し掛けた
油で揚げて食らったのも最初だけだった
冬は日照時間が短くて嫌だった
四季の彩りより、ビビットカラーを求める様になった
ばあちゃんとの会話より若い女性と話したくなった
人から離れたいと思い山暮らしをしたのに人が恋しくなっていった
わたしはあれから10年以上経過しているのに、逆の意味でそうなっている自分が滑稽で仕方が無い
だから旅をするのだろう
新しい土地での出会いを求めているのだろう
やっかいな性分だ
折り合いを学んだはずでわないのか
失ってしまった前歯はもう生えてこない
精神も肉体も少しずつ劣化していっている
衰えと言う世界を感じる
そんな時、炭鉱で栄えたであろう街に行きたくなる
最近こう思う
衰退は繁栄と同様に美しい
その世界に触れる為だけの旅をしようと思う
一緒に炭鉱巡りをする仲間を探している
条件は、ひとつ
矛盾が同居している方

炭鉱仲間 問合せ先:くまがいはるき
TEL:07055077430
メール:pikaspace0810@gmail.com


Written by Haruki Kumagai
イマジネーションピカスペースWEB https://pikaspace.tumblr.com/


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