3/24-掌編小説 現実

 これはぼくが小学一年生になる時に買ってもらった学習机である。自転車も入学式の素敵な服もランドセルもおさがりだったけれど学習机だけはそんなにすぐ下がってはこず、最初からぼく用に買われたこの机を与えられた、それはとても嬉しかったけれど、ぼくはおさがりを厭わない、悲しい感情など一切なく喜んでそれを使う、当然だよね、遂にぼくもそれを使う日が来たかと嬉しい気持ちで有り難く受け継ぐ。
 ぼくはぼくのためにお金を使わせたくなかった、ぼくは何も選びたくなかった、ぼくの稼いでない誰かのお金をぼくのために使われることが苦痛でしかたなかったし、それに対して感謝の強要をされている事実は信じたくない現実だった、そしてぼくは何も選べなかった、ぼくの選んでいい選択肢の中に、ぼくの欲しいものはいつもなかった。
 ぼくは小学一年生の時から、自分の机と自分のベッドがある壁で囲まれドアのついている自分の部屋を与えられていた。もう20年、ぼくの部屋にはこの机がある。
 ぼくは大人になっても自分の使うお金を自分で稼げる人になれていなかった。ぼくは小学一年生の時からこんなぼくの未来を予感していた気がする、だからこそこのからだは必死に頑張っていたけど、ぼくに求められている未来とぼくの進まなければならない道は反対方向だったからね、死ぬ気で矯正したんだけどね、いや、かなり、健闘したんだよ、だから、ほらね、最強なぼくに育ったと思う。
 ぼくが部屋をぼくの部屋としての意味があるように使うようになったのは20歳を過ぎてからだったと言っても過言ではないかもしれないし、たいていは机の上が物で溢れていて使えないから、空いている誰かの机を借りて勉強していたぼくだったし、一人の部屋で寝るようになったのはいつからだったろうか。こんなへんてこなぼくの、こんなへんてこな文章を読んでこのからだはその目から涙を流す、ぼくが苦しめてきた、ぼくを苦しめてきた最愛の女性である。ぼくは一体、何者でしょうか。

行きたいところにふらっと行きたい、ひとりのひかり暮らし、明日を恐れずに今日を生きたい、戦争と虫歯と宝くじのない世界を夢想してみる。