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6/19-掌編 これはフィクション

法律やコンプライアンスじゃまかなえない穴があるってことだよ


短時間、高速で頑張って、多くの時間休むような、たとえば、草臥れるほど頑張って、回復するように休む、その繰り返し、じゃなくて、

無理せず自分のペースで自分のやるべきことをやっているだけなの


頑張っては草臥れて、頑張っては草臥れて、なんてそれは、無駄が多いでしょう、休みの時間が長くあったって、疲れは取れないで溜まっていくではないか


私はね、草臥れるような頑張りをしないから、休みの時間が多くはいらないの
そして、だから、お金を多く稼ぐ必要もないの
お金のために働いているんじゃなくて、これをしたくて、これをしているの


決められた時間内に終われない私は能力が低いですか?
だめですか?
働いていちゃいけないですか?

私がしていた私の仕事は私がしたい私の仕事ですが、減らされますか?
給料はそのまま?特別扱い?文句出ないですか?出ないわけないですね、給料はそのまま誰かがやらされることになるのなら


遂行能力だけの問題じゃなくて、
時間とお金と人生との向き合い方の問題で、私はここにいられないのかな

私がこの仕事を時間内に終わらせるためには、草臥れるほど頑張らなければできない、そうすると休みの日は何もできない

草臥れるほど頑張らなければできない私は、同じ仕事を草臥れるほどには頑張らなくてもできて、その後の休みの日もアクティブに活動できる人たちに比べて、能力が低いのだろうか


そういうわけではないと、ぼくは思うのさ


とはいえ、
私はここにいてはいけないのだろう

ならばどこにならいていいのだろう

そんな場所はないのだろう 


ぼくはぼくの向かう場所へずっと
流れているはずなんだ

雇われることなどできないよ



死ぬほど頑張った後にだけ味わえてしまう快感、言い訳しながらいただく、現実逃避に溺れてる人たちが、
完熟した現実を見逃して、当然に腐らせていくのが信じられないよ



死ぬほど頑張ってる大人たちは、ぼくにはもう死んでいるように見えるよ

そんなわがまま放題な大人たちを
見殺しにすることだってできないの

だってそれは自らを殺すことになるだろう?
大人になってしまうってことだ

そんなの嫌だ

行きたいところにふらっと行きたい、ひとりのひかり暮らし、明日を恐れずに今日を生きたい、戦争と虫歯と宝くじのない世界を夢想してみる。