叫び10

他人に優しいひかりをやろうふたたび

期待しないことで優しさは生まれる


ぼくはね、だからね、家族は他人ではいけなかったと思うんだ、
家族に対する優しさは他人に対する優しさとは、種類が違うものであったはずだと思うのさ、

家族には期待していてこそ、家族と言える間柄であると、ぼくは思うから


他人に対しては期待しないことによる諦観で、人は優しくなれる

家族には期待していることによる絶望で優しくなれないことがある


ぼくの親やその親、君の親も、きっと、人々は代々、他人とセックスして他人を産んできた

諦観による優しさでぼくらは慰め合い、家族であっても他人のまま、期待し合うことはできぬのだと悟り、いつしか己の向上も諦め、相手の向上も期待せず、すでにあるものだけで、それを奪い合うかたちでぼくらは生きながらえてきた


ぼくはぼくの向上を諦めない
他人に優しく
自分に期待していく

ぼくに家族はいない
人々に家族はいない
皆孤独だ
他人が他人を産み
足りないものの奪い合いをしている

それでもぼくはいつかこの他人たちと家族になりたい
期待し合い、自身の幸福をつくっていくんだ

足りない前提で、あるそれを奪い合うのが常識な社会は幻想だよってことに皆が気づくまで
孤独に生き抜くしかないみたいだね


他人と家族の差異がない
優しさがひとつになる世界、
そんな世界を夢想している


期待しないという優しさ
期待し、待つという優しさ
後者が、人間的幸福を求める偉大なる本来の優しさではないかと考える
それができる余裕と強さがある者のみ
誰かの親を務めることができるのだとぼくは思う


待つというのはじっと耐え忍び、何もせず、現状維持を頑張る、ということではなく、成長している未来を思い描きながら、
いまを生きるということだよ

行きたいところにふらっと行きたい、ひとりのひかり暮らし、明日を恐れずに今日を生きたい、戦争と虫歯と宝くじのない世界を夢想してみる。