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パクチーとかドクダミとかをぼくは好きであることを知った、28歳、夏

早寝早起きに憧れていたぼく

夜は眠れず朝は起きれずな自分

強烈な劣等感をずっと抱いていた

寝るのが下手で起きるのが苦手で

日中はいつもぼんやりしていて頭はあんまり働いていないし、
眠るべき時間は
いまから眠ろうとしても眠れるわけない事実と格闘していて頭の中がぐるぐるしていた

ぼくは思う、
ぼくはようやく気づいた、
ぼくは夜行性の動物なんじゃないか

それでも
早寝早起きへの憧れはなくならないし
夜更かしして朝寝坊の生活はやはり怠惰であろうと思う気持ちは消えない

だからぼくは、
いわゆる、
ゴールデンタイムに眠ることにする

本日のうちに眠り
場合によっては本日のうちに起きることにする

まだできてないけど

ぼくは夜の6時に眠りたい、眠りに着くための準備を完了していたい

朝の2時には起きたい

夜の6時から10時にやっていたことを
朝の6時から10時にやることにすれば
それ、やらなくてよかったことに
気づくかも


テレビなんてなくて、
学校もなくて、
本だって持ってなどいなくて、
そんな時代の子どもの努力、
幸せ
遊び
仕事を探求してみたい

電気の通った
水道の通った
雨風凌げる家で
スマホを持ったぼくが
探ってみるの


暇さえあればテレビを見てた
暇しかなくてたくさんテレビを見た小学生時代のぼくだった

真剣に飽きるまでたくさん見たからぼくはわかったんだよね

もうあとは繰り返しだ
もうテレビは見なくていい
もうわかった、ぼくはもう見終わった
これ以上はぼくの暇をテレビじゃ潰せない


なんとか高校まで卒業したぼく
行っても意味ないかもしれないけど
行かなくても意味ないし
行ってみないと行かなくてよかったかどうかの判断はつかないと思ったし

今しか、今行くチャンスはない、
今なら当たり前に用意されている学校、今行かなければ、もしも行きたくなった時や、行っておけばよかったな、なんて思ってしまった時に、いざ行くのは並の苦労ではなくなる場合が高い

行かないという選択を自分の明確な意志を持ってしているのなら行く必要はないが
行っても行かなくてもいいけど、行かないほうが今なんとなく楽しいからただ行かないとか、考えることやめんどくさいことから逃げているなら、せっかく用意されている学校に、
行ってみることに価値は、
なくはないと思う

問題は、
脳無し教師等がいた場合、その愚行を俯瞰していることができるか、だろう

その愚行の標的にされたり、耐えられないほどの愚行を目の当たりにさせられたら、
そんな学校など行けない、行かないのは当たり前であろう


ぼくには本があった
ぼくは静かにたくさんの本を読んで賢くなろうと思ったんだが、
ぼくは本が読めなかった
読んでも読んでも何一つ頭に入らないのだ
たくさん読めば読めるようになるって信じてたけど、読んでも読んでも読めるようにならなかった
ただ文字を追ってるだけだった、そこにある情報がぼくの中に入ってきてぼくの頭を刺激してくることは、なかなかなかった


テレビがなくても
学校がなくても
本がなくても
ぼくらと同じように時間を持って生きていた時代の人たちがいるんだよ

ぼくは
暇を持て余すことなく
自分を忘れるほど忙しくすることもなく

何があっても奪われることのない幸せを追求していきたいと思う

行きたいところにふらっと行きたい、ひとりのひかり暮らし、明日を恐れずに今日を生きたい、戦争と虫歯と宝くじのない世界を夢想してみる。